■1130■
『RWBY VOLUME 4』の初回限定Blu-Rayを買った。全196分。劇場公開版は、エピソードをひとつも削ることなく、2時間半の尺に編集していたことに気づかされ、その労力に敬服した。この作品は、ふたつの「物語」を内部にセットすることで、寓話的な世界観を強化してきた。ひとつは四季の女神のおとぎ話であり、もうひとつは銀色の瞳の少女の言い伝え。『VOLUME 4』では、さらに創世神話が語られる。
太古、世界には善なる神と悪なる神の兄弟がおり、兄は草や動物などの生命を創った。弟は生命を脅かすモンスターを創り、破壊を望んだ。対立していた兄弟は話し合って、判断力を備えた生命をつくることで合意した。それが人間だ。つまり、人間は判断によって善にも悪にもなる。決して、善のみから生まれた存在ではないからだ。
この創世神話は、直接にはストーリーと関与しない。しかし、いまだに決定的な評価を与えられていない『RWBY』という未熟な作品には、ふさわしいように思った。どんな権威とも無縁で、なにも保障されないまま、ただ判断力だけを頼りにヨロヨロと、しかし力強く進みつづける作品。それが『RWBY』だ。
もしかすると、ガクッと転びかねないこの作品のおぼつかない足取りを、僕は心の底から愛する。
■
実は、今回の『VOLUME 4』から、使用ソフトがMayaに変わったのだという。
もう、あのペラペラな紙細工のような愛くるしいローポリのキャラクターではない。執拗なまでに影のつけられた、不自然なまでに精緻なキャラクターになってしまった。だが、あいかわらず長い髪は板のようだし、ルビーはしっかりとペンを握ることができない。手足のバランスのおかしなキャラクターもいる。ようするに、モデリングが良くない。だからこそ、モーションキャプチャを駆使した芝居にゾッとするほどの生々しさ、人間くささを感じる。声優たちの磨きぬかれた演技が、よりいっそう輝く。
キャラクターのモデリングの出来だけで、すべてが決まるわけではない。見てくれなど、実はどうでもいい。演技のつけ方次第で、善にも悪にもなる。芝居が下手なら、見るに耐えない作品になるだろう。だが、そうはなっていない。スタッフやキャストの注意深さがキャラクターに血を通わせ、作品を生きたものにしている。
■
片腕を失ったヤン・シャオロンが、父から義手を与えられる。だが、心理的なダメージを克服できない彼女は、義手をつけないまま部屋にこもりがちだ。ある朝、父が花壇に水をやっている。家のドアが開くと、ヤンが立っている。彼女はひさびさに朝陽を見たので、まぶしそうに右手を頭の上にかざしている。右手、それは彼女が失ったほうの腕だ。義手を使って、彼女は朝陽をさえぎっている。
たったこれだけの演出で、どうすればヤンの復活を効果的に観客に伝えられるか、スタッフが工夫した形跡がうかがえる。左手(無傷なほうの腕)を頭のうえにかざしたのでは義手を強調できないし、夕陽では物事の終わりを暗示することになりかねない。
些細な演出だが、ひとつひとつ判断力が働いている。はじめから悪いものなどない。生まれながらに優れた作品などない。選ぶことで、良くも悪くもなるのだ。
ぜんぶの演出が上手くいっているわけではない。やや冗長な会話もある。だが、それもこれも含めて、よい方向へ向かう努力は、『RWBY』の全編から伝わってくる。
この作品を見ている間ずっと、「あなたの判断次第で、これから先は悪くもなるし良くもなるんだよ」と、励まされている気持ちになる。
(C) 2017 Rooster Teeth Productions, LLC
| 固定リンク
| コメント (0)
| トラックバック (0)