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2017年9月22日 (金)

■0922■

レンタルで、『ピアニストを撃て』。
Mv5bmtm2mju3njgwn15bml5banbnxkftztc大学を出たばかりのころ、レンタルビデオで確実に見たタイトルなのだが、ここ半年か一年ぐらいヒッチコックを見続けて、ようやくトリュフォーの存在価値が分かった。佐藤忠男の『ヌーヴェルヴァーグ以後』をサラッと読んだだけではダメだったんだ。

ヒッチコックの映画は、とにかくおそろしく金がかかっている。セットを丸ごと建てるなんて当たり前。車での移動シーンにはスクリーン・プロセスが使われるが、単純にフィルムの量が二倍になる。現場で撮れないカットは、ミニチュアやマット・ペインティングで背景を作る。特殊効果のプロたちが、総動員されているのだ。
その点、トリュフォーの『ピアニストを撃て』はどうだろう? 街中のシーンは、カメラを街中に持ち出して、そのまま撮っている。車での移動シーンは、揺れる車内にカメラを載せて、ラジオから流れる音楽をバックに、えんえんと車窓の風景を撮ったりしている。
カット割りはどうだろう? もう、てんでデタラメだ。同じシーンなのに、望遠で撮ったり広角で撮ったりするから、別の場所のように見えてしまう。思いつきで撮り足しているのだろうか、似たようなサイズ、似たような構図の絵を無理に繋ぐものだから、芝居がつながらない。
少人数で撮っていることが丸分かりの、自主映画を見ているかのようだ。

だが、その素人くささが瑞々しい。このデタラメさが、ヒッチコックを当たり前のように見ていた1960年当時の観客にとって、どれほど衝撃だっただろう? 1960年といえば、なんとヒッチコックが(あえてモノクロで)『サイコ』を撮っている。
『サイコ』では、階段から人が落ちるカットを、わざわざ俳優と背景を合成して作っている。『ピア二ストを撃て』では、その手のトリックは皆無だ。雪の中でヒロインが撃たれる緊迫したカットを、ロングの絵で、あわてたようにカメラを振って撮っている。とてもヘタクソなのだ。だけど、計算され尽された『サイコ』に比べると、ラフで自由でおおらかで、不思議と美しい。


若いころは、いきなりヌーヴェルヴァーグやネオレアリズモを見るものだから、その価値が分からない。「撮り方がかっこいい」程度の浅い認識しかできない。
ヒッチコックや黒澤明のように、精度の高い娯楽作品を経ないと、つまり、ある程度の映画史を意識して見ないと、未熟な美意識だけで価値を定めてしまう。それでは、あまりにもったいない。

幸い、歩いて数分のところにあるレンタル店で、ヒッチコックもトリュフォーも揃っていて、たった百円で借りてこられて、何十回でも見直すことができる。
今なら、トリュフォーがヒッチコックにインタビューしていたことも知っているし、ヒッチコックの映画の価値も分かる。適切なカット割り、適切なカメラワークを理解しているからこそ、それらを無視して、ホームビデオのように映画を撮ったトリュフォーの大胆さが分かる。ヌーヴェルヴァーグは、映画を大衆に開放した。僕らが8ミリを回していられたのは、彼らが低予算でアバウトな映画の撮り方を広めたからだ。
ヌーヴェルヴァーグは20年か30年かかけて、大予算の娯楽映画に吸収されていったのだと思う。僕らが見慣れている映画には、必ず元型がある。慣れてしまったから、いま公開されている最新作こそが最も進化した映画だと信じ込む。

若い頃のほうが、若々しい映画の価値が分かるのか、というと、そんなことはなかった。「感性」なんて曖昧なものでは、物事は推し量れないのだ。
ほぼ30年ぶりに見た『ピアニストを撃て』の値打ちを理解できて、本当に嬉しい。そして、明日は小学校時代の友達と『エイリアン:コヴェナント』だ。

(C)1960 - Cocinor

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