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2017年9月20日 (水)

■0920■

レンタルで、マーティン・スコセッシ監督の『沈黙 -サイレンス-』。
640 日本に布教しに来て、そのまま消息を絶った神父(リーアム・ニーソン)を、かつて彼に師事していた若い神父たちが探索に行く。そのうち一人は、アダム・ドライヴァーなので、ちょっと『スター・ウォーズ』濃度の高い映画だ。新しい『スター・ウォーズ』にも、これぐらいの神妙さがあっていいかも知れない。

主人公は、もうひとりの若い神父(アンドリュー・ガーフィールド)である。二時間半の映画のうち、ほぼ二時間が経過した頃、ようやく彼はリーアム・ニーソン演じる師と再会する。ところが、師はとっくにキリスト教から仏教に改宗しており、日本名で平穏に暮らしている。
アンドリュー演じる若い神父は、信仰を棄てきれない。しかし、彼のせいで日本人の隠れキリシタンが拷問にあって、次々と苦しみながら死んでいく。さて、彼らを救うために自ら信仰を棄てるべきか、それとも信徒たちを見殺しにすべきなのか。
そこまで辛い局面に際しても、神は黙っている。タイトルの「沈黙」とは、そういう意味である。

なので、二時間をすぎた頃からが面白い。それまでに、キリスト教と江戸幕府、それぞれの言い分や考えの違いも、たっぷりと聞くことが出来る。勉強になる。
しかし、それは「ストーリーが面白い」というやつである。「キャラクターの内面」も、モノローグで縦横に語られる。信仰や宗教に興味のない僕でも、いろいろ考えさせられる。
だが、それは「映画が面白い」こととは違うのではないか。


会話シーンがほとんどな上、単調な切り返しばかりだ。
人物Aが話したあとに人物Bだけを映せばいいのに、人物Bを大きくとらえたカットに人物Aが小さく映っており、前のカットと仕草が違ったりする。すると画面がカクッと動くため、かなり雑な印象を受けてしまう。
この映画の原作小説は、1971年に篠田正浩が映画化している。なぜ、スコセッシが今さら映画化する必要があったのか。しかも、脚本さえ読めば理解できてしまうような映画を。
だけど、それでもいいのだ。僕がカットだ構図だと神経質なのもイヤだろうけど、戦艦だのロボットだの怪獣だのヒーローだのが出てきて、さあみんなでネタにして騒ごう、さあIMAXだネタバレ禁止だというノリにも疲れる。こういう、どこの誰が見てもある程度の“読後感”が得られる落ちついた映画を見て、ホッと一息つけるのも事実だ。

日本の閑散とした山村に西洋人が来て、そこそこ見慣れた日本人俳優たちが彼らを囲む絵づらも、程よいバランスだったんだろうな。


11月には、マルタ共和国へ旅行する。
マルタ島、ゴゾ島、ほんの小さな島ふたつだけの国である。バスで、端から端まで行けるという。島から島へは、フェリーが頻繁に行き来している。英語が公用語で、一週間ぐらいの滞在がちょうど良さそうだ。友達に話したら、「マルタ島は、きっと美しいはずだよ」と、観光地を教えてくれた。
今は、それで十分だ。お互いの喜びを分かち合える友達。他人の痛みを理解できる心。どんな知識よりも大事なことだ。認められなくとも、愛されなくとも、まったく構わない。戦場みたいな人生は、もうまっぴらだ。

派手に、にぎやかに生きている人が幸せとは限らない。孤独とは、自由の隣人だ。

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