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2017年9月16日 (土)

■0916■

ホビー業界インサイド第27回:作らずに眺めているだけでもOK! テラダモケイの寺田尚樹さんが語る“リラックスできる模型の作り方”
T640_738070イベントを観覧させていただいたテラダモケイさん、ついに取材に行ってきましたよ。寺田尚樹さんは、実はデザイン雑誌にプラモデルの作例記事を連載していたのです。
「模型誌に作品を発表しているプロモデラーでなければプラモについて語る資格がない」としたら、そんな世界は闇ですよね。異業種の方が、どんどん語れる多様性ある世界が良い。そんな願いを込めての取材でした。寺田さん、ありがとうございました。本業とは別のお話をしてくださって。


レンタルで、塚本晋也監督の『野火 Fires on the Plain』。
3e9a5215_large 故・村崎百郎さんがエッセイに書いていた、「百姓一揆のシーンでエキストラを雇える金がなかったため、キャスト・スタッフ総出で10人にも満たない人数で百姓一揆を演じて、それゆえに異様な迫力の出た低予算映画」、それを思い出した。
塚本版の『野火』、見て良かった。感銘を受けた。
2015年の公開時、「しょせんは自主映画」と酷評する人もいたが、確かにメイクは白々しいし、弾着のエフェクトも血が綺麗に飛び散りすぎる。だけど、映画のリアリティは一本ごとに違うんだ。自分でチューニングを変えられないと、ハリウッド大作に価値基準が固定されて頭がカチカチになるよ。『レヴェナント:蘇えりし者』や『プライベート・ライアン』とは別のモノサシを持っているかどうかが問われる作品だ。


塚本監督の8ミリ映画『電柱小僧の冒険』や『鉄男』はショックだったけど、『ヒルコ/妖怪ハンター』で初めて商業映画を撮ったとき、あの毒々しい作家性が見事に消えうせていて、驚いたものだった。
映画って大勢でつくるから、助監督とか制作とか特機なんかの周囲がプロのスタッフで埋まって体制が整備されると、監督の個性って相対的に減ってしまう。「個性的な映画は、個性的な現場からしか生まれない」という、若いころの押井守監督の言葉は真理をついている。

さて、今回の『野火』。前述したように、メイクやエフェクトはしょぼい。エキストラも、「監督に言われて、急遽出演しました」と分かってしまうレベルの下手な人がいる。
だけど、音楽でいえば間奏のような隙間が映画のあちこちにあって、塚本監督が「ね? 確かにしょぼいかも知れないよ? だけど、どうしても撮りたかったんだよ!」と合間合間で叫んでいるように感じた。「本当は、こうはしたくなかったんだ!」「理想のシーンは、こんな予算では撮れないぐらい凄いんだよ!」と、声を枯らしているかのようだ。そこに魂をつかまれた。この枯れ果てた井戸から搾り出すような低予算ゆえの迫力は、ハリウッド映画にはないよ。
撮影も塚本監督なんだけど、手持ちでエネルギッシュにカメラを振り回して、自分の顔がアップになるときは、他のしょぼさをたった一人で補うかのように、神妙な顔つきで演じている。他の俳優が、オーバーで空々しい演技をすればするほど、塚本監督の真剣さが際立つ。監督が主演って、すさまじくカッコいい。

ハリウッドの最新作を、4DXで鑑賞するのが最高の贅沢だと思ってるでしょ? 僕は、5年前でも50年前の映画でも観られる現在のインフラを利用して、自分固有の審美眼を鍛えたいっすね。


『交響詩篇エウレカセブン ハイエボリューション』が公開されたので反応を検索してみると、みんなやっぱり「ストーリー」「物語」がキモだと思っている様子だ。「物語」が不在の映画なんて、たくさんあるのに。

『電車男』が流行ったとき、「こんなのネタだろ?」という突っ込みをよく目にした。ネタ=作り話という意味で。映画を「作り話」だと思っているから、「ネタバレ」という言葉を平気で使えるんだろうな。
映画は「物語」「ドラマ」がもっとも大事と思いこんでいて、誰ひとり構図やカット割の話をしないので、僕は孤独に自分だけの楽しみに没頭できている。

映画の本質は、「時間制限のある四角い枠」です。枠の中の情報が、いかに変化するのか。あるいは変化しないのか。『ロープ』や『バードマン あるいは(無知がもたらす予期せぬ奇跡)』のように、カット割なしの映画もあるけど、時間の制約からは自由になれない。必ず始まりと終わりがある。
たとえカメラや俳優が微動だにしなくても、何らかの情報をもった枠が一定時間、上映されるのであれば、それは映画なのです。座席が機械じかけで揺れることなんて……まあ、それすらも楽しんでしまえればいいけれど、映画を規定する条件ではないですよね。座席を動かすなんてことをせずに枠内の情報の変化だけで臨場感を出す、それが劇映画の面白さです。こんな面白い表現はないぜと思ってますよ、何十年もずーっと。

(C)2014 SHINYA TSUKAMOTO/KAIJYU THEATER

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