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レンタルで、『ボーン・アルティメイタム』。シリーズ三作目をいきなり見たせいもあるが、「物語」の大枠、設定などはさっぱり分からなかった。しかし、そんなものどうでもいいんじゃない?……と思わせるぐらい、編集テクニックがすごい。アクションシーンともなると、一秒間24コマに満たないです。一秒間に3カットぐらい入ってるんじゃないかと思う。
そんな短いカット割りで、何が起きているのか分かるのか? ぎりぎり分かる。顔のアップが多いので、「いま殴られた人が壁にぶつかったんだな」と認識できる。パッと振り向いたら、ほぼ同時に奥にピントを送って、何を見たのか瞬間的に分からせる。カット尻でカメラを振って、絵をブレさせたり(そうすると情報がリセットされて、次のカットが頭に入ってきやすい……だが、リセット後に視認されるカットが、また恐るべきスピードで過ぎ去っていく)。
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そもそも、「分からせる」ことが目的のカット割りではない。たぶん、「飽きさせない」「眠らせない」ことを目的にした結果、このような密度が生じてしまったのではないだろうか?
僕は、黒澤明やアルフレッド・ヒッチコックのような、機能的で合理的で、何が起きたかを文脈をもって理解させるカメラワーク、カッティングが好きだ。だが、単に「好き」であるだけで、黒澤やヒッチコックの映画を見終わった後、「いいストーリーだった」「よく出来た物語だ」とは思わない。「言葉にしづらい事柄を、映像で伝えるのが上手いな」、と感心するのである。
映画を見る目的を、「サッと一言で説明可能なレベルにまで、物語を理解すること」だと思うから、いろいろつまらなくなる。
『ボーン・アルティメイタム』は、終幕間際になってセリフで何が起きたか説明して、「物語」を了解しようと努める観客たちの攻撃をかわしている。また、主人公を常に監視するカメラやシステム、組織を登場させることで、あたかも「すべてを観客に理解させている」かに誤解させる。その詐術も見事だ。
だが、裸眼で見たなら、この映画が効率を度外視して、殴り合いやチェイスを膨大なカットで見せているにすぎないことは分かるだろうし、それは何ら責められるべきことでもない。
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来月公開予定の『交響詩篇エウレカセブン ハイエボリューション1』は、物語の理解を放棄させた点で、特筆すべきアニメーションだ。
半年なり一年間なり放送されたテレビアニメを「総集編」として無理やり2時間の劇映画に仕立てる試みは数限りなく試されてきたが、『ハイエボリューション1』はそのくびきから逃れることに成功している。
主人公・レントンの絶えることのない、とりとめないモノローグ。テロップの挿入で何度も何度も巻き戻され、ちりぢりになった時系列。結果、語り口の軽妙さだけが残される。カッコつけではなく、ちゃんと笑いを誘うところもいい。
「テレビアニメ→劇場アニメ」のフォーマットでないと、こういう作り方はできない。その観点からも日本のアニメって特殊だと思うんだけど、完成した作品は「映画っぽい」。単館系でよくある感じの一本になっているのだが、なぜそう見えるのかは、もう一回見てから慎重に考えたい。
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