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レンタルで、是枝裕和監督の『海よりもまだ深く』。『歩いても 歩いても』と同じく、阿部寛が主演。妻と別れ、興信所に勤めながら元妻が新しい恋人とデートするのを尾行したり、老いた母親のへそくりを盗んだり、どうしようもないバツイチ男を演じている。
阿部が、マンションで一人暮らししている母(樹木希林)のもとを訪ねる。樹木は、バス停まで阿部を送っていく。2人はどうでもいい話をしているのだが、車道の向こう側で街路樹が揺れているのが見える。木々が風で揺れたとき、ザァーッ……と静かな、ちょっと重たい音を立てる。遠い記憶を刺激される。
『誰も知らない』のときに書いたと思うが、ネグレクトされている子供たちに優しくしてくれる不登校の女子高生が、自分のマンションに戻る。そのシーンで、歩道橋の向こうに、鬱蒼とした木々が見えている……何十年間もの人生の、どこかで見たことのある森閑とした風景。言葉ではないし、ましてや物語ではない。
でも、映画の目的は、物語を伝えることではないので。
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だらしのない元夫を、元妻の真木よう子は煙たがっている。台風の夜、いきがかり上、元夫と元妻は、子供と一緒に母の家に泊まる。
その夜、樹木希林の母親がカレーうどんをつくる。元妻も子供も手伝う。ジャガイモを切る手。冷蔵庫から取り出されるカレーの入ったタッパー。鍋に入れられるうどんのアップ。もう、顔なんて映さない。画面外から「グリンピース入れたら?」「分かってる、好きだもんね」などの会話が聞こえる。
作業のみを淡々と撮っていくためだけに、フィルムを使っている。この端的なシーンを生き生きと見せる目的で、一時間ほどシチュエーションが重ねられてきたかに思える。
さて、カレーうどんを食べ終えて母子が帰ろうとするけど、母が台風がひどいから泊まっていけと言う。泊まっていこうという話になる。そのとき、洗い終えたどんぶりがアップになる。心憎いと思った。強いて言うなら、みんながカレーうどんを食べ終えた後のどんぶりは、家族を象徴している。食べ終えたばかりの汚れたどんぶりではなく、洗ってあるから、見ていて気持ちがいいわけです。「良いことが起きる」と予感させる。そもそも、シーンの転換に、無機物のアップをポンと入れると時間経過の演出にもなるし、テンポも出る。
映画を見るんなら、そういうところを見ないとさ。
真木よう子には新しい恋人がいて、元夫の書いた小説の感想をいう。「時間の無駄とは言わないけどさ……テーマがよく分かんなかったな、僕には」。つまんない男でしょ? だけど、世の中の映画の感想も「ストーリーが」「テーマが」ばかりだよね。
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だけど、こういう丁寧につくられた邦画って、ニュアンスが伝わりすぎてしまう。
是枝監督は、よくセリフに「こうすると、ほら、アレするだろ」「ああいうのって、あんまりアレだからさ」など、アレを多用する。機能的ではない不明瞭な会話って、日常性が出ていいんだけど、あまり使いすぎると意図ばかり気になってしまう。
あとね、旦那の浮気調査を依頼してくる女性が、服装も化粧もケバいとか。だらしのない阿部寛の部屋が散らかっていて、暇な時間は煙草をくわえながらパチンコしているとか、ちょっとした陳腐さが気になってしまう。
微妙なニュアンスが伝わりづらいほうが、構図やカットの機能が明らかになる。
機内上映で、字幕もなければセリフも外国語で分からない映画を何本か観たけど、それでも面白い映画ってあるんだよ。
ヒッチコックは「セリフがなくても伝わる映画が理想」と言ったそうだけど、彼の映画を観れば、それは分かりますよね。この『海よりもまだ深く』も、観終わってから早送りにすると、構成のシンプルさが分かって、けっこう良かったりする。
(C)2016 フジテレビジョン バンダイビジュアル AOI Pro. ギャガ
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