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レンタルで観た映画は韓国映画『戦場のメロディ』と、ジャン・ルノワール監督の『大いなる幻影』。後者は、戦前の日本では検閲のため未公開に終わったという。現在の日本では、こうして86円という無礼とさえ言える値段で観ることができる。僕にとって価値のない映画が、あなたにとっては宝物になるかも知れない。
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ワンダーフェスティバルが終わったせいだろうが、僕がフィギュア・プラモデル関連のアカウントばかりフォローしているせいなのか、Twitterが殺気だっている。
ワンダーフェスティバル運営周辺については、「なるほど、ごもっとも」と得心したくなるような怒りのこもった意見が多いし、矛先が明確なので、特に言うことはない。
ちょっと気になったのが、「2000年代初頭までのフィギュアはひどい出来だった、おっさんたちが脳内美化しているだけだ」と、雑誌の写真を貼ったツイート。そこには等身大の綾波レイのフィギュアが映っている。確かにひどい出来だが、もっと良いものもたくさんあったはずだ。
とりあえず、どこから持ってきた雑誌の写真だろうと画像検索をかけると、「1996年のフィギュアってこんな程度でしたね」と記された、元ツイートが即座に見つかった。
ところが、元ツイートを「2000年代のフィギュア」と改変した本人は、「90年代の模型文化は資料に乏しい」と言い訳し、自分の間違いを指摘した人たちは「老害」なのだという。
90年代の模型雑誌など、いまはネットで格安に手に入るため、僕は手元にあった月刊モデルグラフィックス 1998年6月号のページを写真に撮り、Twitterにアップした。300ほどのアカウントにリツイートされたが、自分で調べず他人の撮った写真ですませた「2000年代初頭までのフィギュアはひどかった」はその十倍ぐらいリツイートされている。
こうして、まるで公害のように汚れた空気だけが伝播していく。最大の問題は他人の写真を拝借したことではなく、「1996年」を「2000年代」と改変したことでもなく、「ひどい出来だった」とネガティブに攻撃的に泥を塗り、「この20年間で進歩した」などとインスタントに納得したがる、その性急かつ虚無的な態度だろう。
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「で、それはなにも高い年齢の方の発言という訳でもなくむしろ僕らを老害などと揶揄するくらいの年齢の人物から発せられたというのがまたポイントなのですがね。」(■)
これは、「SF」の解釈をめぐる山本弘さんのツイートへの返信。非常に得心がいった。「おっさん」「老害」と言いたがる人にかぎって、せいぜい30代なのにガチガチに頭が固い。それでいて、自分の内部が空洞なのは年齢のせい、相手がムカつくのも年齢のせいと、時代や世代に何もかも押しつけずにおれない焦燥感だけがヒリヒリと伝わってくる。
「こっちは若くて経験不足なんだから、ジジイどもは大目に見ろや」などと甘えている人は、やはり歳をとってからも「こっちは若いころに苦労したんだから、若者どもが譲歩しろや」と、年齢を盾にとってくるような気がしてならない。早い話、年齢は関係なくて性格が悪い。
自ら弱いほうのカードに賭けておいて、「なんで俺だけこんなに損してるんだよ!」と相手かまわず怒鳴りつけるような意地汚さがある。そういう人間は、逆に自分だけが勝ちつづけて他人が損しつづけているような不公平さをも積極的に肯定しそうで、酒の席でも仕事の場でも、決して近づきたくない。こちらが巻きぞえで被弾してしまうから。
ただ、彼らが汚してしまった空気を、ちょっとは清浄にしてやろうとは思う。僕が社会にコミットできるのは主に仕事なので、いい仕事をして、世の中そんなに悪くない、絶望することはないと読者に伝えていきたい。
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