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2017年7月30日 (日)

■0730■

日曜の深夜に放送される『生ワンホビTVは朝から朝まで生放送!夜の部』に出演することになりました()。
Logo_yorunama25:50~「その時MAXが動いた ~マックスファクトリーの歴史15/30」で、会社の設立前後のことを覚えている人が、僕ぐらいしかいないんだそうです。
25:50って、ようするに日付が変わって午前1時50分ですからね。終わったら、午前3時ですよ。


レンタルで、ヒッチコックの無声映画『下宿人』と三隅研次『座頭市地獄旅』。
C2c4cefc9e8f36eb2cbf635881f34557『~地獄旅』は、同じ三隅監督の『座頭市物語』ほどには洗練されていないのだが、このスチールのように男装の女剣士が登場したり、お楽しみ要素は盛りだくさん。
この女剣士と兄のあだ討ち話、市と懇意になった将棋好きの浪人、そして市に惚れてしまう子連れの女、こんなバラバラの要素をどうまとめるのかと思ったら、最初のふたつのプロットをひとつのシーンで一気に、ほんの数分で解決してしまったので、脚本の伊藤大輔、さすがである。

さて、心引かれたのは、もうひとつの要素。子連れの女のプロットだ。
女の連れている子供が、ふとしたことから破傷風にかかってしまい、生死の境をさまよう。市は高い薬を手に入れるために博打や曲芸を繰り返し、薬を手に入れる。
しかし、薬を入手した市に、彼に恨みのある狼藉者たちが襲いかかる。市は彼らを返り討ちにするが、大事な薬を落としてしまう。その最後のカットで、どうしても薬を見つけられない市は、がっくりと座りこむ。だが、薬の入った箱は、彼の右手のすぐ横に落ちている。
ついつい、「市、すぐそばに薬があるぞ!」「もうちょっと探せよ!」と声をかけたくなる。やきもきさせられる。演劇でも同じ効果が得られるので、これは映画に固有の演出ではない。

だが、観客に「劇中人物が気づかないだけで、私は知っている」と優越感をいだかせること、それが劇映画に没入させるためのコツではないかと、僕は疑いはじめている。


もうひとつ。母子のプロットでは、とても感動的なシーンがある。

なんとか薬を持ち帰った市のおかげで、破傷風にかかっていた子供は、意識が戻る。「早く治ってよかった、よかった」と、枕元で市が喜んでいる――その声を、水の入ったタライを運んできた母親が廊下で聞いている。
布団に横になった子は、「おじちゃん、おじちゃん」と、親しげに市に話しかける。「おじちゃん、……ありがとう」。その言葉を聞いた市のアップ。何か答えようと唇を震えさせるが、言葉にならず、その場にいられなくなって立ち上がる。
市は、廊下へ飛び出してくる。後ろには、タライを持ったまま、母親が立ちすくんでいる。勢いよく飛び出してきた市は、彼らしくもなく、廊下の柱に頭をぶつけてしまう。彼は柱に頭を持たせかけたまま、声も出さず、涙も流さず、静かに泣く。
その様子を見ていた(聞いていた)母親は、市の優しさを目の当たりにして、その場でしゃがみこむ。すると、彼女の手にしていたタライの水が反射して、揺れた水が顔にチラチラと光を当てる。この演出、分かるでしょ? 本当は、市も母親も泣いているはずなんだけど、涙は映さずに、タライの水に代弁させている。

これまた、映画に固有の演出とは言いがたいんだけどね。だけど芝居で終わらせず、水の反射を感情表現に使ったところが、良かった。


地上波で『RWBY』が放送されているだけでも感謝なのに、Twitterでは「あのシーンがない!」「なぜあのシーンを切った?」と、うるさい。何かが足りていることより、欠落にばかり目が行く人は、人生のマイナス面に振り回されて不満がちになっているんじゃないだろうか。
テレビ放映版『RWBY』は、カットしても整合するようなエピソードやセリフしかカットしてないので、感心している。むしろ、制作上では時間の開いていたVolume.1のラストとVolume.2の冒頭が、かっちりと繋がっていることが分かって感心しているぐらいなんだけど。
マイナスに振り回される人生が、プラスに転じるわけがないと、僕は思います。

原稿に追われてはいるが、明日は埼玉まで「マームとジプシー」の公演に行ってくる。
帰宅して、仮眠してから秋葉原か……。

(C) KADOKAWA 1965

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