■0728■
未来警察ウラシマン COMPLETE BOOK 発売中●なかむらたかしさんインタビュー
●井口忠一さん×石山タカ明さん 対談
●発掘! なかむらたかし初絵コンテ/第26 話「ネオトキオ発地獄行き」の愉しみ方
以上、三つの記事を担当しました。
このムックは、既出の記事を寄せ集めたものではなく、初出の資料が多いです。最初に企画を聞いたときは、もう少し軽い本になるのかと思っていたのですが、まったくそんなことはありません。
そして、1983年ごろのアニメブームの渦中、どちらへ進むのか判然としないけれど、才能と情熱がひしめいていた時代の雰囲気が、ほんのりと香る本になっています。
■
レンタルで、『グッバイ、サマー』。
ミシェル・ゴンドリー監督で、女の子と間違われるほど可愛らしい少年のひと夏の冒険譚……って、もう逆らえない。企画の時点でOK。まあ、期待にたがわず、砂糖菓子のように軟弱で、小憎らしいほどキュートな映画です。
主人公とその親友が飛行機で家に戻るシーンが、難解でありながら、実に映画らしかった。
飛行機が離陸すると、主人公以外の客、機長、みんな眠ってしまう。飛行機は後ろ向きに飛び(フィルムを反転させていてる)、元の空港へ戻る。
そこで主人公がハッと気がつくと、今度は列車に乗っている。車窓から見える風景が逆向きに流れているので、「飛行機も逆向きに着陸したし、いま乗っている電車も逆に走っている」と主人公は取り乱す。
このシーンで、飛行機はフレームの左から右へと移動して着陸する。次のカットは、列車の客席に座っている主人公のバストショット。彼はフレームの右、つまり飛行機の着陸した側に座り、フレームの左を向いている。同じように、飛行機も機首を左へ向けていた。
フレーム内の位置と方向を一致させることで、飛行機と電車が「逆向き」であることに一貫性を持たせている。もしバラバラの方向で撮ったら、「飛行機も電車も逆向き」というセリフと整合しない。
当たり前のことだけど、カットワークは映画のネジみたいなもので、いい加減にしておくとフィルムは空中分解してしまう。物語にリアリティがないとか原作と違うとか感情移入できないとか、そんなことはどうでもいい。僕にとって「ひどい映画」とは、構図やカッティングを何も考えてない映画を指す。
■
先日の話(■)に関連するけど、インターネットは僕たちの無責任さ、主体性の欠如と溶けあいつつある。僕たちは真偽のさだかでない情報を鵜呑みにしながら、いつでも「騙された!」と被害者ヅラする準備をしている。
原発に反対する人たちの一部は、いつの間にか放射能の影響で子供たちが死ぬのを待望するようになってしまった。そして一方には、原発や米軍基地建設に反対しているのは在日外国人だ、日当をもらっていると決めつける人たちがいる。
ようするに、誰もが他人に運命や行動を支配されている、誰もが自分の意志でなんか生きてやしないのだと信じたい。だから、私が無責任なのもやむを得ないことなのだ、と。
その、主体性の放棄が怖い。
「自分の考えを言いたいなら小説でも書けばいい」(■)とも、根底でつながっている。自分の考えを主張していいのは、一部の限られた人間だけだ。僕や貴方のような凡人にそんな特権はないのだから、おとなしくしていろ。黙って流れに従っていろ。
上から管理されなくとも、自ら進んで整列し、行き詰ったら線路に飛び込むよう、日本人は調教されているのではないか。
(C)Partizan Films - Studiocanal 2015
| 固定リンク
コメント