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2017年7月 5日 (水)

■0705■

レンタルで『ヘイトフルエイト』と、ルネ・クレマン監督の『居酒屋』。
Mv5bmtk4mzmyoti0nv5bml5banbnxkftztc『居酒屋』は、さぞかし退屈するだろうと思っていたのだが、見終わったあと、深いため息が出た。
主演のマリア・シェルの、幸薄そうな笑顔には、誰もが心をつかまれるんじゃないかな……こんな美しい女優が、60年も昔にいたのか。
マリア・シェルの演じるクリーニング屋の女が、夫もふくめた3人の男からもてまくり、だけど最愛の人は去ってしまって、夫は発狂してしまう。ただそれだけなんだけど、終わってほしくない、不思議な幸福感に満ちた映画だった。


「この映画は凄いのではないか」と思ったのは、所帯をもったマリア・シェルが誕生パーティを祝うシーン。鶏の丸焼きを切り分けるのを、長回しで撮ったりしている。料理が人の手から手に渡るのを、ずっとカメラで追っていく。すると、必然的にパーティに出席した人たちの顔が映る。ワインをこぼしたり、ちょっとした描写が、とても生き生きとしている。
Mv5bmtg2ntk3mtq1ov5bml5banbnxkftz_3物語のスジだけ追うのであれば、そんなカットは要らないんです。ロングで、適当に撮っても成り立つじゃん。だけど、カメラがアクティブに動く。鶏肉を頬張るマリア・シェルの顔をアップで抜いたりしている。
ただのパーティをこんな丁寧に撮って、なんて心に余裕のある、贅沢な映画なんだろうと感嘆する。

それと、終盤ちかく、マリア・シェルの旦那が発狂するシーンで、ベッドから突き出た足が震えているのを、彼の幼い娘が見ている。娘の目線の高さで撮っている。
ラストシーンで、娘は憔悴したマリア・シェルのところへ、お菓子をもっていく。そのシーンも、ずっと子供の目線の高さで撮っている。だけど、娘が店でお菓子をもらうシーンは、大人の目線の高さから、見下ろすように撮っている。
この世界には、大人の世界と子供の世界とがあって、終盤では大人の世界が背景化して、子供の世界が広がっていく。それを、カメラの視線の高さだけで表現している。
そして、娘は同い年の子供たちの中に走っていき、カメラはその場にとどまる。つまり、僕たち大人は、子供たちに捨てられたんですよ。「何をどう撮っているか」を見れば、それが分かる。それが映画だと、僕は思う。


20日に開催するトークイベント『社会は如何にしてプラモの金型に彫りこまれた美少女のパンツを見つめてきたか』()は、漫画家の田中圭一先生の登壇も決定しました。

田中先生のデザインされた「コップのカドでグリ美ちゃん」は、何度か書いてきたように、僕は子供たちや家族連れのくるような場所では売るべきではないと思い、コンビニとゲームセンターからは撤去してもらうよう、メールしました。
「グリ美ちゃん」のようなフィギュアを根絶やしにされないためには、逃げ道を確保すべきだと思ったからです。「廣田はフィギュアを潰そうとしているぞ」と誤解されたとしても。
なので、送り手側の話も聞きたいよね、欠席裁判は建設的ではないよね……と、イベントを主催する編集者と話して、ダメモトで永山薫さんに相談してみたところ、田中先生と電話で話す段取りをつけてもらえたのです。

このイベントは、「いろいろな表現が、みんな一緒に生き残る」方法を考えることがテーマです。そのためには、僕が堂々と「好きだ」と宣言できるプラモデルとフィギュアを足がかりにするしかない。自分が好きなものを真っ先に差し出さなければ、誠実さを欠いてしまうからです。
自ら批判され嫌悪される覚悟と強さをもっていないと、趣味も娯楽も維持できないと思うのですよ。

(C) 1956 StudioCanal

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