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2017年6月 4日 (日)

■0604■

学生時代、『市民ケーン』同様、撮影専攻の友人が絶賛していた『第三の男』をレンタル。30年ぶりに見返してみたが、良さが分からなかった。
Maisquiatueharry2翌日、ヒッチコックなら理解しやすいのではないかと思い、『ハリーの災難』。
林の中で、死体が見つかる。しかし、その場で倒れたにしては、やけに整然としたポーズだし、そもそも撮り方がおかしい。シンメトリで撮っている。シンメトリは画面に象徴性を与えるが、同時に物語や情感を奪うこともできると、この映画は教えてくれる。『ハリーの災難』の中で、ハリーの死体は終始一貫して感情移入を拒む「小道具」として扱われるのだ。

だから、ハリーの顔は一度、天地逆で映るだけで、以後は必ず手前に何か置いて顔を隠している。ハリーの死体は何度も埋められたり掘りかえされたりするが、スコップで掘り出された砂の山が映るだけで、具体的に死体を埋める芝居を映すことはない。
登場人物たちがハリーの死体を邪魔に感じるのと同様、映画も死体を映すことを“面倒がり”、なるべくフレームの外に置きたがる。


僕がもっとも感心させられたのは、「自分が猟銃でハリーを撃ち殺してしまったのではないか」と勘違いした男が、たまたまそこへ通りかかった婦人と会話するシーンだ。
2人は死体を前にしているのに、午後にお茶に来ないかといった日常会話をかわす。彼らの足元に死体があるのだが、ミディアム・ショット、腰から上しか撮っていない。死体はフレームの外だ。
すると、おそろしく凡庸なシーンに見える。最後に、婦人は「それではお茶を楽しみにしています」とか何とか笑顔で挨拶して、男の前から去る。そのとき、ひょいと足を伸ばして何かまたいだことが、芝居から分かる。言うまでもなく、彼女は足元の死体を踏まないようにまたいだのだ(と、観客には合点がいく)。
死体を映さずして、死体の存在を強烈に意識させる、知性的で機能的で、かつ笑いを誘う優れたシーンだ。

「撮れば存在感が出る」ほど、単純ではない。撮らないこと、見せないことによって、観客にずっと意識させつづけることが出来る。
ヒッチコックにとっては余技なんだろうけど、豊かな時間を味わうことが出来た。

加えて、この映画で銀幕デビューしたシャーリー・マクレーンの表情の、なんと雄弁なことだろう。すっかり魅せられてしまったので、『アパートの鍵貸します』も借りてこないと。


“女性というだけで「プラモの作り方わからないだろ」とか思ってる男性が多くて、ぜーんぜん聞いてもいないし、お断りしてもしつこくご丁寧にゲート処理やら合わせ目消しやらスミ入れやらおすすめのキットを教えて下さるのですが、私がいつも思うのは「鼻フックして引きずり回しちゃろか?」です。”(
プラモデルにかぎった話ではないし、男女間にかぎった話でもない。ようは、自分が上に立てる、相手をコントロールできると確信するから、アドバイスしたい欲求が出てくるわけで。
(痴漢行為も、一種のマウンティングだと思う。ダメ男が優越感を抱くための行為であって、性欲はあまり関係ない。)

また、アドバイスを求められたからといって、「俺様の出番だ」とばかりに山のようにお節介を焼くのも、みっともない。必要最小限でいいはず。
「自分の力に自信のある人間は、礼儀正しく振る舞うわ。」(『銀河鉄道999』より)

(C) 1955 SAMUEL TAYLOR AND PATRICIA HITCHCOCK O’CONNELL AS CO-TRUSTEES. All Rights Reserved.

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