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2017年5月29日 (月)

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アニメ業界ウォッチング第33回:吉田健一が語る「キャラクターデザイン」に求められる能力
T640_728722吉田さんとは『Gのレコンギスタ』のパンフレットとムックで、二度お会いしただけです。だけど、Twitterのダイレクトメールでちょっとやりとりしたこと、また舘野仁美さん、安藤雅司さんのお2人がそれぞれ吉田さんのお話をされていたので、いい頃合だと思い、取材をお願いしました。

結果、思いがけず、『君の名は。』評をお聞きすることができました。“「君の名は。」の作画は、2時間見ていても疲れない”……これは線が少ないとか、形をディフォルメして単純化してあるという意味ではないと思います。
たとえば、『ドラえもん』の劇場アニメは、(作品によりますが)動画の線を途切れさせて情報量を増やしています。テレビのシンプルな絵のまま、2時間見せられたら、それこそ疲れるんじゃないでしょうか。映画として見せるのに適切な情報量を、探っていると思うんです。

『この世界の片隅に』は、片渕須直監督ご自身が、かなり初期から作画のタイミングについて語っておられたので、動きが評価対象になっていたように思います。『君の名は。』の作画については、どうでしょう? 僕は試写を見て、作監の安藤雅司さんにインタビューしたきり、ぜんぶ分かった気になっていました。


吉田さんの“「君の名は。」の作画は、2時間見ていても疲れない”という指摘でピンと来たのは、僕が実写映画とアニメ映画とをレンタルしてきたら、「アニメ映画のほうが楽に見られるな」と、無意識に比較していることです。

仮に退屈したとしても、実写で退屈させられるほどの拷問ではないだろうとタカをくくってしまいます。なんというか、アニメで退屈したとしても、実写映画とは退屈さの質が違うような気がします。
アニメ映画は、脚本や構図やカッティングなど、劇映画から大枠を借りているので、ついつい劇映画の論法を借りて批評しがちです。それが罠であるような気がしてきました。
大枠を借りてきているだけで、成り立ちはぜんぜん違います。批評のしかたも異なって然るべきではないでしょうか?

「映画秘宝EX 劇場アニメの新時代」の安藤雅司さんのインタビューを読んでほしいのですが、アニメでは「普通の女の子」でも、つい可愛く描いてしまう。だから、安藤さんは『思い出のマーニー』では脚本に介入して、セリフで説明してもいいから、その子のマイナス要素を足してあげたんだそうです。脚本で工夫したうえで絵にして、ようやく「普通の女の子」になるのではないか、ということを作画監督が考えている。
同じ脚本で実写映画を撮ると、ちぐはぐな結果になる。そういう方向性の差異を考慮しなくていいのかな……と考えてしまいます。どっちの表現が上とか下とかいう話ではなく。


大学時代、名前は忘れてしまったけど、「映画は、どこからどこまでが映画なのか」「何をもって映画と定義づけるのか」考える授業があって、僕はその授業だけはノリノリで聞いていました。映画のDVDは、ただの記録媒体であって、映画ではない。映画を「これが映画だよ」と手渡すことは出来ない。
あの授業を、まだひとりでやり続けているような気がします。

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