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我慢できず、今夜もヒッチコック。漠然としか知らなかった『裏窓』。
軽妙なサスペンスなんだけど、全編セット撮影で、がっちりとお金がかかっていて、アイデアもみっちりと敷き詰めてあって、こんな宝石箱みたいな映画を見つけてしまって、エンドタイトルではポロポロと涙がこぼれた。僕だって、映画を観て、しょっちゅう泣いてます。
ただ、「泣けたから優れた映画」と、感情と評価を直結させるのが怖いので、それはやらない。
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『裏窓』は、骨折して部屋から動けない主人公が観客に最も近い状態で、それゆえに感情移入できるのだ……という話は、研究書で読んでいた。
ジェームズ・スチュワートが裏窓から覗き見る人々の生活は、それぞれがショートストーリーになっている。あんなに赤裸々に窓を開け放って、分かりやすいシーンだけ見られるわけがないんだけど、それがこの映画だけのリアリティ、嘘のつき加減であって、とても洒落てると思った。
ファーストカットで、庭を囲むアパート群をぐるりとパンして、主人公の額のアップで止まるけど、途中、ハトが二羽も横切る。もちろん、カメラの動きにあわせて飛ばせているわけです。窓から見える人々の生活も、入念にリハーサルしないと、カメラが過ぎるとき、あんなに自然な動きにはならない。
だからまず、すごい時間と手間がかかった贅沢な映画。だけど、会話は洒落ているし、これといってテーマがあるわけでもない。ちょっとした挿話、小話みたいな感じ。そのギャップが粋で、大人っぽい。
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そして、ジェームズ・スチュワートは事件を「見ているだけ」なので、この映画では外部に置かれている。彼の存在がなくても、事件は描き得る。カメラを、事件の起きたアパートの中に入れてしまえば、ちゃんと成立する。
だけど、あえて彼を『アバター』のように、『マトリックス』のように、座席から動けない観客を映画の内部にジャック・インさせるための依り代として設定している。だから、クライマックスでは自分が殺されてしまうかのような緊迫感で、息が詰まりそうになった。
「動けない主人公」を設定するだけで、猛烈に没入感が増す。これは、すごい発明だよ。4DXどころじゃないですよ。
そして、主人公の恋人(グレース・ケリー!)が約束を破って、犯人の部屋に勝手に窓から入ってしまうシーンで、その大胆かつコケティッシュな行動力に胸がドキドキした。もちろん、主人公も僕も「同じように傍観しているしかない」から、ドキドキするわけです。
これは、本当に贅沢な体験。VRかと思ってしまう。だって、グレース・ケリーが自分の恋人になるんですよ、そのシーンでは。ただ観客の立場と、主人公の立場を入れ子構造にしただけで。
それが、映画の「機能」です。面白いことの裏には、必ずロジックやメカニズムがあるのです。
ネタバレという言葉の大嫌いな僕だけど、この映画の、小粋な愛らしいラストシーンに触れるつもりはありません。『成金泥棒』の真犯人を書くつもりもありません。
それが、礼儀だからです。ネタバレって「禁止」を促すものでしょ? 「ネタバレだから言えません」って、まるで言論統制じゃないですか。
上に書いたように、『裏窓』の面白さは、主人公が傍観者に徹している、その秀逸な作劇上のアイデアです。ラストシーンは、気のきいたオマケであって、映画の「ネタ」なんかじゃありません。
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