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2017年5月 4日 (木)

■0504■

レンタルで『裸足の季節』、『路上のソリスト』、デンマーク映画『恋に落ちる確率』。
Reconstruction『恋に落ちる確率』は、「恋の魔法をかけるロードショー」とのキャッチコピーで、シネセゾン渋谷で公開された。恋愛映画として売るより仕方なかったのも納得の、実験映画である。
画面を占めるのは、16ミリ・フィルムで撮ったような荒々しい質感の映像、コマが飛んだようなアクションの飛躍、抽象的イメージの二重露光など。
平然とイマジナリー・ラインを無視するカットワークは、ロジカルな作劇のためではなく、単に風変わりなデザインとして存在しているように見える。


ストーリーに意味があるとは思えない。主人公の青年は、恋人と地下鉄に乗っているとき、美しい女性に目を奪われ、彼女を追いかける。ふたりは一夜をともにするが、次の日から青年の家は消滅し、恋人はもちろん、友人や父親さえも彼の存在を忘れ去ってしまう。
ただひとり、一夜をともにした女性だけが、彼と約束したレストランにあらわれる。だが、彼女は青年に惹かれこそすれ、「あなたとは初めて会った」と語る。このようなボタンのかけ違いが随所に発生し、翻弄された青年は女性にふられて、地下鉄の駅に取り残される。
彼が残された地下鉄のホームに、三枚の写真がポスターとして貼られている。それは女性と初めて出会った夜、机の上に並べた写真とまったく同じ絵柄だ。彼はそのとき、「この写真に映った女性には、三つの選択肢がある」と語った。
彼の言葉どおり、映画では3パターンの虚構世界が繰り返されたのだと思う。だが、検証するだけの価値は感じない。三枚のポスターと三枚の写真が符合していることに気づけば、それで十分な気がする。

『恋に落ちる確率』には表層しかないが、それは決して悪いことではない。
良くないのは、『路上のソリスト』のように、観客が映像から感じるべき要素を、すべてセリフに変換して安心したがることだ。そうした親切な映画に慣れた観客は、セリフに振り回される。
『恋に落ちる確率』は、「この映画にはロジックなど皆無で、表層だけで彩られた映画だ」と気づいていくプロセスに、価値がある。その発見の過程は、十分に面白い。束の間、好奇心を満たしてくれる。


プラモデルでも映画でも、同じこと。僕たちはエンタメを語るために変幻自在の視点、豊富な語彙をキープしておかねばならない。

それには、まずはインターフェース、僕らと接する面、表層をしっかりと見つめなければいけない。
現状、映画であれば「ストーリー、テーマ、ネタバレ」ばかりが話題になって構図も演出もカットワークも「ディテール」として無視されている。プラモデルであれば、いきなり塗装や工作といった応用テクニックに話が飛躍し、どのようなパーツ割なのか、どんな成形色なのかは、「どうせ塗るから関係ない」と、評価の対象から外されてしまう。

簡単に言うと、個人の茫洋とした感覚がボディ(本体)になってしまっている。
塗装されたプラモデルも、ストーリーやテーマで語られる映画も、個人の移ろいやすい感覚に依拠している。たとえば、「感動した」などという曖昧な「気分」は、誰にでもシェアできるものではない。不可視のものだから、何とでも言えてしまう。
「動かしがたい事実」=「表層」を見つめる態度を維持しないと、文化は膨張する「気分」によって押しつぶされてしまうだろう。自覚のある人は、どうか危機感をもってほしい。

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