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劇場アニメの新時代 明日発売●「画が演技をするということ」 アニメーター/作画監督 安藤雅司の仕事
『千と千尋の神隠し』、『君の名は。』のムックでもお話をうかがった安藤雅司さんに、三度目のインタビューを行いました。
編集部からの依頼で、「アニメと実写の両方を知っている方に」とのことでしたが、よくぞ安藤さんに取材依頼したし、よくぞ僕に回してくれたと思います。
安藤さんは優れた表現者であると同時に、優秀な鑑賞者でもあります。インタビュー中、『この世界の片隅に』を評価していますが、おそらくこのような誉め方は、どのレビュアーも評論家も、していないと思います。
キャラクターデザインはよく話題になるし、絵がリアルだ、絵に説得力があるという誉められ方をされても、作画という工程に評価が及ぶことは皆無といってもいいぐらいです。
僕は「実写以上にリアルだ」なんて無責任な言い方をしたくありませんから、安藤さんの貴重な発言をまとめることが出来て、とても勉強になりました。たいへん有意義なインタビューになりましたので、必ず読んでください。
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「アニメ映画」といっても、最近ではテレビ放送されたもの、テレビ放送前提でつくられたアニメもイベント上映されています。果たして、「映画館で上映されたんだから、すべて映画なのだ」とくくってしまっていいのでしょうか? そんな簡単な話なんでしょうか?
たぶん、アニメが「質的に」映画となる条件なり定義なりが、必要なはずなんです。
押井守監督の発言を振り返ると、劇場デビュー作の『うる星やつら オンリー・ユー』を「大きなテレビにすぎない」と反省しています。併映は相米慎二監督の『ションベン・ライダー』でしたが、そっちの方が好き勝手にやっている。
それで、第二作の『ビューティフル・ドリーマー』がどうなったかというと、おそらく『オンリー・ユー』より「映画っぽい」と感じる人が多いのではないでしょうか。
アニメが「質的に」映画である……という定義を考えるとき、いつも押井監督の「大きなテレビ」という言葉が、脳裏をよぎります。
人気のあるキャラクターたちをまんべんなく出して、笑いも涙も盛り込んで、新しい挿入歌もふんだんに入れたけど、それゆえに「大きなテレビ」にしかなっていない。
(いま、その「大きなテレビ」を「劇場版」として公開したら、「これこそ映画の王道だ」と歓迎されかねませんけどね……そういう雰囲気は、ちょくちょく感じます)
「大きなテレビ」ではなく、アニメが「質的に」映画になっているとするなら、「何が」映画たらしめているのか、関心をもっていなくてはなりません。
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写実的なキャラクターデザインなら、実写映画に近づくんでしょうか? 現地にロケハンして、実在の場所を背景に描けば、それで現実感のあるアニメになるんでしょうか?
『王立宇宙軍 オネアミスの翼』が公開されたとき、僕は日芸映画学科に在籍していましたが、「あそこまで細かく描くなら、実写でいいじゃないか」と言った学生がいました。『王立宇宙軍』を忠実に実写で再現したら、より完璧な映画になるんでしょうか。アニメは「実写映画に到達すべき、未完成な何か」なのでしょうか?
「絵なのに、リアルだ」という誉められ方をしていると、僕は「うん?」と首をかしげてしまうのです。そう言いたくなる気持ちは分かるけど、言葉が足りてない。
「絵でないと感じられない存在感」を出すため、何かやっているはずなんですよ。3DCGで立体的になったからリアルだとか、その手の認識から抜け出ないといけない。
それには、実写映画もアニメも、熱心にいっぱい観ている人たちが必要なんですよ。
映画とアニメは何が違うのか、なぜアニメが映画になりうるのか。面倒だけど、面白いじゃないですか。今、それを考えるチャンスが来てると思います。
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