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2017年3月17日 (金)

■0317■

EX大衆 4月号 発売中
Ex_taishu●機動戦士ガンダム 鉄血のオルフェンズ 傑作の理由
モノクロ、4ページの特集記事です。
飯田一史さんにインタビューし、現代社会と『オルフェンズ』を比較した評論記事として掲載しました。
この仕事は、すでに原稿と取材を複数かかえている時期に割り込んできたので、シメキリから逆算して、構成可能な内容を割り出して、その範囲内でやります。
画像はバンダイビジュアルさんから借りられるので、「第○話のあのシーン」だとか面倒な指定はせず、公式サイトにある画像をピックアップしてお願いすれば、そのものズバリの画像が送られてきます。

相手(編集、デザイナー、関係各位)みんなが、なるべく手短に段取りできる方法だけで切り抜けようと努めれば、自分も無理なく仕事を進められるはずです。
「時間がない」と騒ぐ人は、余計な段取りを増やしすぎなんです。


レンタルで、『シークレット・アイズ』。
Main_large娘を殺された女性捜査官ジェシカ、美しい女性検事補クレアのあいだで揺れ動く、男性FBI捜査官レスの姿を描く。
あえてこのような書き方をしたのは、レスが明らかにジェシカへの友情とクレアへの愛情の両方に翻弄されていると分かるシーンがあるからだ。

まず、レスはジェシカの娘を殺したとおぼしき容疑者を尾行し、彼を取り押さえる。しかし、その場に現れたジェシカは「彼は容疑者ではない」と言い張り、レスに悪態をついて立ち去る。そのシーンは、腑に落ちない表情のレスのアップで終わっている。
手詰まりになったレスは、クレアの家へ行く。そのシーンも、レスのアップで始まっている。同じ人物のアップとアップをつなぐと、シーンのつながりは不自然になる。だが、ここではジェシカのために働いたのに彼女に悪態をつかれたレス、困り果ててクレアの家に行くしかなかったレス、彼の心の両面を描かなくてはならない。
よって、アップとアップでつなぎ、観客の注意を喚起する必要がある。事態に翻弄されるレスの気持ちを途切れなく描くには、レスのアップのみでシーンをつなぐのが、もっとも有効ではないだろうか。
レスは、打つべき手がなくなり、立ち尽くしている。その彼の前を、ジェシカが通り過ぎてフレーム・アウトする。つづくカットで、やはり立ち尽くしているレスの向こうに、風景の一部から、クレアが静かに現れる。上手い。完璧に整合している。カットと構図が、ドラマを生み出している。

こうした細部の語り口に、監督の知性や慎重さが端的に現れるのだと思う。


ほかにも、エレベータの中で、セスとクレア、ジェシカの3人が話し合うシーンも印象的だ。エレベータの中は鏡張りなので、3人の姿は右にも左にも、別々の角度から映し出される。
このシーンで、セスは容疑者の少年を「自分たちの手で、殺してしまおう」と提案する。法に準じて行動する彼らにとっては、あまりに重大な決断だ。その迷いを描くには、鏡なり密室なりの仕掛けが必要なのだと思う。
さもなければ、「泣き叫ぶ」「怒鳴りあう」ことが、もっとも強く感情を描く手法になってしまう。

『シークレット・アイズ』で、もっとも唸らされた芝居は、容疑者の少年にブラウスの胸元をのぞかれたニコール・キッドマン演じるクレアが、怒りをおさえた丁寧な言い回しで、少年を性的に侮辱するシーンだ。
演技も素晴らしいのだが、セリフの内容が「事実」を逆手にとった皮肉であって、無根拠に下品な言葉を羅列していないところに着目すべきだ。
強い「思い」の発生源は、つねに冷徹なほどの「事実」なのだと思う。「事実」を見失うと、人間はことごとく堕落する。作品も同じだ。


もう一本、友人に薦められた『ラブ・アゲイン』も観たが、僕向きの映画ではなかった。
努力や才能よりも、「何に拠って立つ」のか、それによって人生の質だとか、力だとかが左右されるような気がする。

(C)2015 STX Productions, LLC. All rights reserved.

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