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2017年2月 9日 (木)

■0209■

レンタルで、『ハドソン川の奇跡』。
640いまどき珍しい、90分にまとまったソリッドな映画。
開幕、すでにモチーフとなる飛行機事故が起きた後である。トム・ハンクス演じる機長は、事故から全乗客を救った英雄としてマスコミに追い回され、同時に国家運輸安全委員会から嫌疑をかけられ、家族とも会えずにいる。

事故は、回想シーンとして描かれる。そこまでで、すでに一時間が経過している。ラスト30分は、公聴会。機長の判断ミスを疑う国家運輸安全委員会、シミュレーターによる事故の再現、そしてフライト・レコーダーに残った機長と副機長のやりとり。ここでもう一度、事故が回想される。時間の省略はない。シミュレーターで四回、フライト・レコーダーで一回、計五回も、こと細かに事故の様子を再現する。
この冷徹なまでの実証の繰り返しに、感服させられる。無論、膨大な航空用語が、説明もなく飛び交う。


冗長な人間ドラマを排した、クールな構成の映画だ。

序盤、機長は理解者の少ない、孤立した立場に置かれている。
中盤、機長の身に何が起きたのか、仔細に回想する。ここで観客は「事実」を目撃する。
終盤、機長を疑っていた人々が、態度を改める。

たった、これだけ。機長の少年時代、空軍時代のエピソードが挿入されはするものの、クリント・イーストウッド監督は、彼をことさらに美化したりはしない。事故現場を描く回想シーンでも、機長の出番は少ない。英雄的活躍をするのは、たまたま通りかかった通勤フェリーの船長や、沿岸警備隊だ。
だから、機長は「私ひとりが英雄だったわけではない」と、公聴会で無名の多くの人々をねぎらう。同時に、過剰に持ち上げられたり疑われたりしていた機長のストレスも消え去る。つまり、主人公が解放される。
そのための三幕構成なのだと考えると、事故の詳細を中盤までとっておき、最初の30分で、機長の不自由な身の上を淡々と描いたのにも納得がいく。

それにしても、こういう知的でロジカルな映画が潤沢な予算をかけて製作され、しっかり評価されるアメリカ映画の世界はスケールがでかいし、健全だと思う。


映画『この世界の片隅に』が「つまらない」のは誤解だと話題に()

公開から二週間ぐらいたった頃のまとめだけど、「面白い・つまらないでは語れない映画」という誉め方が、11月時点でTwitterでささやかれはじめ、今では検索のサジェスト機能で「この世界の片隅に つまらない」と表示されるほど、定着しているようだ。
「ガルパンはいいぞ」みたいな現象なのかも知れない。「ガルパンはいいぞ」も、最初は実感のこもった誉め方だと思ったが、他の映画に転用する人がいまだに多くて、辟易する。

いま、公開から三ヶ月もたった時点で「面白い・つまらないでは語れない映画」とコピペのような誉め方をしている人は、「他人のツイートを繰り返し見ているうちに、自分の感想のように勘違いしてしまっている」んじゃないだろうか。
それはちょっと、怖い現象であるような気がする。ネットの言論は、全体主義的になりがちだよ。『この世界の片隅に』を誉めたら、『君の名は。』を誹らねばならないような空気も、よく分からない。どっちも、それぞれに面白かったんだが。


僕の友人が、Twitterで「Aという映画は音響がいい」と誉めていたので、「なるほどな」と思いつつ、僕は別の部分を誉めることにした。
その時には、「A作品は音響がいい」がコピペのように流行っていて、こんな辺境ブログにまで「音響がいいので、設備のいい映画館で見てください」「あの映画を見て、音響を誉めないのはおかしい」といったコメントまで寄せられた。

自分の意見だと固く信じていたはずが、実は他人からの影響だったりすることは、よくある。覚えず知らず、心酔している相手の言葉をオウム返しにしてしまっている場合がある。
それは仕方ないにしても、「この映画の価値が分からないヤツらは、劣等感性」というレビューを見て、慄然とした。すごいな。感性に優劣があるのか。
SNSは、同質化を迫る。異質なものを排撃する傾向にある。個性やオリジナリティよりも、集団への帰属願望や優越意識が強くなりがちなんだろうな。

(C)2016 Warner Bros. All Rights Reserved

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