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2017年2月18日 (土)

■0218■

自分は、つくづく「恥」を売り物にしている人間だと痛感するのですが……。

Cyzo_1703発売中の「月刊サイゾー」誌3月号にて、過去に書いていたグラビア・ポエムについて、取材を受けました。

現役で書かれているポエムへの批評が主なコーナーで、僕への取材は他の編集者といっしょに、下段4ページに掲載されているに過ぎないのですが、なかなかよく出来た記事です。取材も、丁寧でした。


バンダイ製のインジェクション・プラスティック・モデル、フィギュアライズバスト・シリーズに『ラブライブ! サンシャイン!!』がラインナップされたので、吉祥寺ヨドバシの入荷状況をチェックして、朝から買いに行ってきた。
組み立てながら写真を撮り、Twitterにアップしたところ、けっこうな数、RTされている()。

ただ、瞳をワンパーツで再現したレイヤードインジェクションが、いまだに「変態技術」「バンダイ驚異の技術」とだけ呼ばれつづけているのが、少し気になる。
「驚異の技術」という一言は、売れているクリエイターを「神」「天才」と呼んで、頭っから評価の対象にしない、疎外する態度に通じる。

レイヤードインジェクションは、80年代末期に登場したシステムインジェクションの応用だが、キャッチーな売り文句で、ユーザーの興味を係留しておきたい気持ちは、よく分かる。
だけど、メーカーが「ここを見てくれ」とちらつかせている部分しか、ユーザーが見ようとしない状況は、あきらかに閉塞している。


バンダイのキャラクターモデルは、「塗らなくても大丈夫」「接着剤すら必要ない」仕様を強く押し出している。「一見さん大歓迎」のスタンスは、「プラモデルに労力をかけたくない」「気軽に組み立てたい」層を、温かく迎えてくれる。
事実、Twitterを「素組」で検索すると、色も塗らずにガンプラを組み立てている人たちが、肩の力をぬいて楽しんでいることに気づく。

瞳まで成形色で再現したフィギュアライズバストに関しても、素組みで楽しめばよかろう、キャラ好き、アニメ好きな人たちが、気まぐれに作るプラモデルでいいのではないか……と思うのだが、「自分で手を加えれば、愛着が増す」「自分で塗れば、個性が出る」式に、勝手に「より高いフェーズ」を推してくる人には、返す言葉が見当たらない。
自分の占めたアドバンテージを、正当化しているにすぎないからだ。

プラモデル趣味から、個人の技量による「優劣」を追い出すことはできないだろうか。
「下手だから」と臆している人の背中を押すのが、「塗装にトライしてみよう!」「次はブラシ塗装だ!」といった“上級者からの指導”しかないとしたら、僕はダッシュで逃げ出したい。
「塗らなくても楽しい、適当に組んで、飽きたら次のを買う」だけの人たちを、いちいち“指導の対象”とみなす世界に、僕は未来を感じない。


プラモデルへの愛着も個性も、持ちたい人だけが持てばいい。
何も持たない、徒手空拳でプラモデルに接する自由を、僕はキープしておきたい。塗らない自由は、塗る自由を包含している。

昨年末から、自動車や飛行機などのスケールモデルを、未塗装で、日々淡々と組み立てつづけている。バンダイのキャラクターモデルとは違い、スケールモデルは接着が必須だし、塗装を前提にしている。
C4innhavcae9xmlだけど、僕は接着を楽しみこそすれ、塗装はしない。車のボディぐらいは塗ってみたいが、塗ったとたんに、評価軸が「実物の車」へと遷移してしまい、「実物と似ているかどうか」が気になりはじめてしまう。たちまち、「実物と違う=キットのマイナス点」という相対評価に組み込まれてしまう。それは、(今のところ)窮屈だ。

メーカーが何を最低保障してくれるのか。なぜ、この成形色なのか。なぜ、この工程で、この分割なのか。ニッパーと接着剤と、ピンセットとヤスリだけで組んでいると、心と指先に、軽やかなリズムが生まれる。
「今日は天気がいいから、遠くまで散歩にいこう」「だけど、飽きたら引き返そう」――そんな風のような気分で、プラモデルを作っていたい。

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