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2017年2月 8日 (水)

■0208■

昨夜は吉祥寺プラザまで歩いて、『この世界の片隅に』、三回目を鑑賞。ゼロ号試写ふくめて三回目だから、明らかに少ない。『マイマイ新子と千年の魔法』だったら、この時期、十数回は行っていたのに。
640まず、吉祥寺プラザでの上映が今週で終わってしまい、回数も夕方から一回のみに減っていたので、ちょっと慌てたことが理由のひとつ(吉祥寺プラザは、いまどきネット予約も座席指定もない、古風な映画館)。
もうひとつ、新宿ピカデリーの大スクリーンで『マイマイ新子』を観て()、「やっぱり『この世界~』も、早めに観なおさないといかんな」と感じたこと。共通点を探したいと思った。

街中で演技しているモブの人たち、ひとりひとりの仕草にあわせて、セリフが当ててある。中島本町と三田尻駅前は似ていて、“裏づけのあるざわつき”が密度を出している。
それ以上に、主人公のモノローグ、“話し方”が、映画のテンポを生み出す点が共通している。『マイマイ新子』では「春になると、緑のコジローがうるさい」という福田麻由子さんの第一声で、「あ、これは好きなタイプの映画だ」と直感した。試写会終わってすぐ、「アニメージュオリジナル」編集部に、「福田麻由子さんの取材を追加でお願いします」と電話したぐらい。
バックにはMinako“mooki”Obataさんのスキャットが流れていて、そこに福田さんの防府弁が重なって、「お洒落な映画」「センスのいい映画」という(僕の受けた勝手な)イメージが、音によって形成された。

『この世界~』も、のんさんの広島弁が映画全体のテンポをつくるんだけど、開幕すぐ、ワンカット目で、いきなり音楽なしのモノローグから始まる。これは、勝負に出ている。のんさんの第一声で観客を引き込めなかったら、もうそこで負けていたかも知れない。
こういう大胆な賭けをできるのは、片渕須直監督が音響監督(音響演出)も兼ねているからだろう。


声について感じたのは、演技そのものは、戦争中の話し方を意識していないこと。1950年代の映画なんて見ると、当時の日本人はけっこう早口。小津安二郎の映画でも、みんな早口だよね。
だけど、のんさんもそう、藩めぐみさんもそう、いまの話し方なので、ちゃんと2016年の映画になっている。プロデューサーさんから「周作の声は、オルガですよ」と聞かされたとき、「ああ、その手があったか」と納得したし、安心もした。
細谷佳正さんもそう、小野大輔さんもそう、売れている若いプロ声優たちが、懐古ではない「いまのアニメ」のカテゴリーにとどめてくれたような気がする。

『シン・ゴジラ』と同じく、2016年の日本と日本人の映画になっている。戦争や震災、観客が目をそむけたいものを、観客の生理に沿いながら、寄り添うように見せてくれたから、支持されてるんじゃないだろうか。
原爆投下のシーンで、後ろの方の座席から「……来た!」という声が聞こえた。つまり、この映画のバックボーンを、あらかじめ僕らは知っている。ずるいことに。
この映画を観ることで、誰もが神の視点に立てる。大和が沈んだことも、日本が敗戦したことも、知った気で見ている。
神の視点に立たせてもらい、世界を俯瞰しながらも、その傲慢さをたしなめられる。いや、「誰かに、戦争や震災に対するうしろめたさを優しくたしなめてほしい」という願望が潜在的にあって、この映画は、そのニーズに(意図せずして)答えてくれたのかも知れない。

ラストカットに「ほらご覧 いま其れも 貴方の一部になる」という歌詞がかかる。その一説が呪いのようでもあり、寿ぎでもある。戦慄と感傷と安堵が、同時に襲いかかってくる。
心から「すげえ」と思ったけれど、応用性の幅広さ、解釈の自由さという点で、僕は『マイマイ新子』のほうが好き。というか、やはり別の映画。別々の良さがある。(『マイマイ新子』には、遊び心というか、出来心でポロッと生まれた粗野な奔放さがある。)


前にも書いたとおり、僕は当初、クラウド・ファンディングには反対だった。
だけど、今なら企画・制作段階から実費で支える「片渕須直ファンクラブ」があっていいと思うし、ファンが直接支援して、片渕さんが自由にアニメをつくれるなら、それが誰にとっても幸せなことのように思える。(『この世界~』は、製作委員会に名を連ねる会社の数に対して、ほとんど片渕監督の個人作品のような質感だけどね……。)


レンタルで、アルフレッド・ヒッチコック監督の『ダイヤルMを廻せ!』。
L1967年にテレビ初放映された日本語版が収録されており、放映されなかったシーンは英語のまま。どこがどうカットされたのか分かるので、勉強になる。

ただ、この映画は戯曲を映画化した作品。映画であらねばならない原理性は、かなり薄い。
にも関わらず、面白い。それは、演劇が映画を内側から侵略したことの証左でもあろうと思う。「脚本がいい」という場合、たいてい「映画の皮をかぶった演劇」を誉めている。その文脈・構造は、いつも意識しておきたいと思う。

(C)こうの史代・双葉社/「この世界の片隅に」製作委員会
TM & (C) Warner Bros. Entertainment Inc.

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