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2016年12月26日 (月)

■1226■

モデルグラフィックス 2月号 発売中
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●組まず語り症候群

第50回目となる今月は、マスターボックス社の1/35「かわいいファッションガール」「メイド喫茶」です。

●居てくれればいいんです、デスロイドは!
『マクロスΔ』の作成にあわせた、ミニコラムです。こういうお題のときは、アニメとプラモデルの両方をリアルタイムで知っていて良かった……と感じます。


レンタルで、米映画『告発』と、仏独合作の『パリよ、永遠に』。
『告発』は、アルカトラズ刑務所をモチーフにした法廷劇。『アルカトラズからの脱出』は痛快さすら感じさせるサスペンスフルな娯楽作だったが、『告発』は陰惨な刑務所内の虐待をじっとりと描き、3年間も地下牢に監禁されていた被害者にスポットを当てる。
『パリよ、永遠に』は、『ブリキの太鼓』のフォルカー・シュレンドルフ監督の近作。ドイツによる占領下のパリの、ホテルの一室での数時間のやりとりを描いている。スウェーデンの総領事が、パリの爆破を実行しようとするドイツ人将校を説得する会話劇だ。
どちらも手堅い撮影、落ち着いたカットワークで、最低限必要なことだけをサクッと語る誠実な映画。どちらも実話をベースにしているから、観ただけで小さな肥やしになってくれる。

たとえば、アルカトラズ刑務所のような恥ずべき歴史をもったアメリカが、70年代にそこを娯楽活劇の舞台に選び、当の刑務所を観光地化し、さらに90年代、刑務所の悪業をあばくような映画を撮り重ねた事実だけでも、面白い。
ついでに言うと、アカデミー外国語映画賞に輝いた『ブリキの太鼓』はカナダやアメリカの一部で、上映禁止となった。罪状は「児童ポルノ」とのことだが、気になる人は調べてみてほしい。


それにしても、映画のタイトルを検索するだけで「ネタバレ!」という文字がもれなく目に飛びこんでくる状態は、はたして幸福なことなのだろうか? お前がこの映画の価値を損ねるほど重大な「ネタ」とやらを、本当に知っているというのなら、一度じっくりとヒザをつき合わせて聞いてやろうじゃないか……と、意地悪な気持ちが起きる。

映画の価値を損ねるといえば、一部の映画で、キャラ萌え的な二次創作マンガを見かけると、たちまち見る気が萎えてしまう……という人に会ったこともあるし、僕自身、そういう気持ちになってしまうことがある。「映画には描かれなかったが、実はこの2人の関係は」と同性をカップリングさせたり、「もしこんなシーンがあったら、とても萌える」と妄想するようなマンガ。
妄想は自由なのだが、セリフや描写が元の映画に追いつくレベルではなく、とても貧しいことにガッカリさせられる。「この映画に熱中しているあなた方も、所詮この程度の人間描写に満足してるんだろ?」と、にやけ半分に肩をたたかれたような気分。
ちょうど、僕が著書()に書いた、「『うる星やつら』を好きってことは、どうせラムちゃんに欲情してるんだろ?」といった下賎な同族意識に巻き込まれたときの嫌な気持ちが、胸によみがえってしまうのだ。


ポルノ規制で、二次元コンテンツが真っ先に叩かれるのは、作者の人間性がダイレクトに露呈しやすいせいかも知れない。
「オッパイが大きい」とか「スカートが短い」といった数値化できる表現以上に、人間観だとか倫理観が、作者の意図をこえて伝播してしまうのではないだろうか。誤読の生じうる、かすかな振幅を認めないから、いつも「エッチなのはいけない」「エッチだと思うほうがいけない」といった、低レベルな言い争いに終始してしまう。

人間の高尚な部分を伝えられる表現は、人間の幼稚で汚い部分も、同様に伝えやすいのだ。そこをまず認めないと、話にならない。
自分が嫌悪されたり軽蔑される可能性を、つねに覚悟していないと、表現について語る、まして「守る」なんてことは出来ない。そして、ほとんどの人は、そこまでの勇気をもっていない。

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