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ホビー業界インサイド第17回:羊毛フェルトで作る“異素材”美少女フィギュアの魅力 土方クロネ・インタビュー(■)
土方クロネさんの作品を初めて拝見したのは、Twitterだったと思います。羊毛フェルトという素材から「人形」にカテゴリー分けされがちなところを、あえて「フィギュア」の文脈からとらえると、かえって「フィギュア」の概念が拡大するような面白さがあります。
【懐かしアニメ回顧録第24回】「アリーテ姫」の提示する、「線と色」で構成された魔法の価値(■)
例によって、「画面に何が映っているか」を整理するところから始めています。
「自分が何を見たのか」を検証することなく、いきなりテーマやストーリーといった抽象概念から話を始めることは、僕には怖くてできません。
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『この世界の片隅に』を見にいった方たちの感想が、たくさんTwitterにアップされていて、ようやく「なるほど」と思える、実感のこもった声が聞こえてきた。
やっぱり、「泣けて泣けて」「ひとりでも多くの人に」という綺麗ごとでは、何も伝わらない。「普通の暮らし」を描いているから感動する……も、小市民ぶりを武器にした言い回しに引いてしまう人がいるのではないか、と危惧していた。
「泣けはしなかった」「金かえせ」「苦手なシーンがあった」という人がいて、ようやく映画がひとりひとり別々の価値観をもった人間の手に渡ったんだな……と、実感できた。
実際、凄惨なシーンあれば、グロテスクな表現もある。それを「ほのぼのした日常」でくるんでしまうところに、この作品の胆力、ちょっとした意地の悪さも潜んでいる。シュールな表現もあって、その難解さも含めて「面白い」「興味深い」と感じているので、おいそれと「感動した」とは言えない。
ともあれ、プロデューサーさん、宣伝担当の方に語った「興行収入のベスト10には入ってほしい」という、僕の勝手な希望は叶えられた。
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「ネタバレ」って言葉が意地汚いのって、「ポリティカル・コレクトネスに配慮しました」に通じる、「本音を隠して良識を貫きました」風のウソくさい品行方正さを感じるからだな。「ネタバレになるから書かない」ではなく、(映画の価値を減じると判断したのであれば)最初から黙って、何も書かなければいいんじゃないの?
逆に、どうしても書きたいと思ったら、素直に書けばいいのであって、映画の価値をスポイルするような「ネタ」を自分はにぎっていて、それを「バラ」さないでおいてやるよ、あるいは「バラ」してしまったから気をつけろよ(ようするに、俺様は他人の楽しみを台無しにし、映画から見る価値を奪い去るだけの力を有しているんだよ)……なんてゲスなこと、よく言えたものだ。
『マイライフ・アズ・ア・ドッグ』のラストシーンなんて、主人公とヒロインが眠っている横でラジオが鳴っているだけだから、何がどうなったと明確に言えない。だけど、「ラストは、2人がラジオを聴きながら眠っている」と書いたら、ネタバレになるの?
よくよく調べると、ラジオから流れるサッカーの試合には、歴史的意味があるんだそうです。それを知っても、特に何がどう変わるわけではない。あるいは、その意味を映画にからめて、ラストの見え方がガラリと変わる日が来るのかも知れない。
それよりも、僕は少年のふりをしていたヒロインが、最後にスカートを履いてしまったのが勿体ないというか惜しくてね。だからといって、それを言葉で聞かされても、「ふーん」としか思えない。最後にスカートを履くんだよな……と分かっていても、ヒロインの魅力は損なわれないし。
映画に「ネタ」があるとしても、それは人によって違うんですよ、という話です。
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友人と飲んでいて、「次の『スター・ウォーズ』には、ゲイのキャラクターが登場するのかな?」という話になった。確か、オーランドの銃乱射事件にからめて、署名活動も行われていたよね。『スター・ウォーズ』は、いまやポリ・コレのゴミ箱だよ。
どうしてもゲイを出したければ出せばいいし、ゲイを出して面白くなるなら出せばいいだけの話で、「ゲイを出させねば中立とは言えない」と考えた瞬間、作品は灰色になる。
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