■イグアスの滝-7■
■11/3-8 悪魔の喉笛
さて、イグアスの滝公園内は、もちろん園内列車を使えば、楽に移動できる。なんといってもタダだし。しかし、座席にゴミが捨ててあったり、他人の座る席に靴をのっけてる大人も多いし、マナー違反が目に余るんだ。
そんなときは、ひとりになりたくなる。構わずに、線路脇の道を歩けばいい。ただし、列車の運行が終わる午後4時から4時半ぐらいに、徒歩で移動できる道にはロープが張られてしまう。公園からプエルト・イグアスへの帰りのバスは、夜の8時15分まであるのに。
蝶々がいっぱい飛んでいるけど、この脇道は、歩くには向いてない。滝も川も見えないし、正直にいうと退屈だ。ご覧のように、水たまりも多い。カップルが、道の真ん中でイチャイチャしている場合もあり、ちょっと立ち止まって、彼らにペースを合わせてやらないと気まずい。
めけずに歩いて最後の駅に着くと、左側に遊歩道が伸びている。トイレも売店もある。遊歩道を1キロちょっと歩くと、“悪魔の喉笛”と呼ばれる、イグアス最大の滝が待っている。
だけど、こんな写真を見ても、何がそんなに怖いのか、さっぱり分からないとは思う。スケール感がくるって、逆に、ミニチュアを見ているような気分になってくる。
足のすぐ下、数十センチのところを通った水が、足の裏をすべるようにして80メートル直下の滝つぼに落ちていく。その足がすくむようなエリアには、さすがに立ち止まる人は少ない。
どうかしている、こんな場所に展望台を建築するなんて、どれだけ工学的知識が必要だったんだ? どれだけの工期と人員がかかったんだろう? この公園をよく見ると、あちこちの川や滝に、打ち捨てられたような過去の橋梁が残っている。
この場所が、最初にヨーロッパ人に発見されたのは、16世紀のことらしい。「誰でも訪れられる公園にしよう」と狂ったことを言いはじめたのは、この橋や展望台を設計したのはどこの誰なのか、それを知りたい。どこから、こんな情熱が生まれてきたんだろう?
そこは、世界の終わる場所だった。際限なく、轟音とともに滝つぼに流れ落ちる大量の水は「とりかえしのつかなさ」そのものだった。お前の人生は巻き戻せない――そう言われたような気持ちだった。
この大いなる終焉は、美しい虹によって祝福されてもいた。鳥や蝶たちは、この悪夢のような光景を、単なるインフラとして利用しているかに見えた。
それでも、絶望をかかえた人たちは、この滝を前にして打ちのめされるかも知れない。その巨大なデッドエンドと、自分の肉体とが、同じ物質で出来ていることに気がついて、少しだけ胸をなでおろすのかも知れない。
■11/3-8 ハナグマ
こんな宗教的な体験のあとに、小言はいいたくないんだけどさ。
園内列車が不愉快なので、またしても線路のわき道を通って帰ったわけ。すると、またハナグマにかまっているおバカなファミリーがいるんだよ。写真とったり、「ハロー」!とか猫なで声でチヤホヤしていて、いいから、道をふさぐなよ。ハナグマは害獣だ。あんたらも、ファストフード店で買ったエンパナーダをハナグマどもに盗まれてみろ、殺意がわくから。
「オウ!」と驚かれたよ、サンダルごと、どぶの中をジャブジャブ歩いてるんだから。だけど、こうでもしないと気がつかないよな。超ラブリーなハナグマちゃんに構って、堂々と道をふさいでいるモラルのとろけた君たちはさ。
「ハナグマに構うな」、これがイグアスを訪れるときの鉄則だ。あいつらは、人間の愚かしさを増大する生きものだ。まして、ハナグマに構っている人間など、相手にしてはいけない。
■11/3-9 魚料理
崇高さと腹ただしさのいりまじった気持ちで、プエルト市街に戻ってきた。
さすがに疲れたので、適当なレストランに入る。だけど、本当はバス・ターミナルの先に、安いお店が並んでいるんだよね。ともあれ、店員おすすめの魚料理を頼んだ。

大量のフレンチ・フライも、ジャンクでいい感じ。ビールはもちろん、1リットル・サイズで。
ただ、このお店は蝿が多いんだ。あと、カードが使えない。こんな大きいレストランなのに。プエルト・イグアスのお店は、VISAカードのマークが貼ってあるのに「実は使えません」というパターンがあるので、要注意。店先でカードを見せて「OK?」と聞いてみたほうがいい。
ともあれ、ジャングル・ツアーとスピードボートで始まったプエルト2日目が終わりつつある。
明日はブラジル側のフォス・ド・イグアスへ行くべく、ベッドの上に資料を広げて、必要なことをメモしていく。ところが、ダメだった。ブラジルに入国はできたのだが……(つづく)
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