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【懐かしアニメ回顧録第23回】“漫符”で聞かせる、「ハチミツとクローバー」のバラエティ的音響効果(■)面白いほど、リアクションの少ない記事です。
だけど、僕はまず、自分が何を見たのか、何を聞いたのか、作品を見ている間に起きた現象を記さずに、先へは進めません。
「運命の出会い」を描いた作品ならば、何がどう運命を感じさせるのか、いかにして出会ったのか、必ず解体できます。要素を積み上げずに形をつくることは出来ないから、解体できないはずがない。
アニメーションの実写より面白い点は、動画という「作品を構成する最小単位」まで可視化されている点です。分析しやすいはずです。
しかし、今は「作品にこめられた思い」「作者の訴えたいテーマ」ばかりが話され、作品の構造に目を向ける人は滅多にいません。
僕は、分かりやすく調理された結果だけを、あたりまえのような顔で甘受したくありません。なぜ分かりやすいのか、どんな材料が使われているのか、なるべく丁寧に解析しながら、調理の出際のよさを発見していきたい。
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「児童ポルノ根絶」講師が児童買春で逮捕 実効性のある児ポ対策とは何か(■)
“日本では、国連NGOであるヒューマンライツ・ナウ(HRN)でさえ、ポルノと児童虐待製造物を混同しています。”
“児童虐待製造物を根絶するには、まずは、内閣府と警察庁などが音頭を取って、児童が出演するポルノ的な映像は「CAM(児童虐待製造物)」と呼ぶべきだとして、AVや漫画など合法的な表現物とは明確に分ける考え方を社会に広げるところから始めるべきだと思います。”
“着衣した子供に対して射精する映像などはこれまで規制の網からこぼれてきたそうですが、実際の「性虐待」に焦点をあてれば、規制することができるようになりますよね。”
ようやく、二次元表現規制とは別のフィールドから、「児童ポルノという呼称をやめよう」「性虐待があったか否かを焦点にあわせよう」という声が広がってきました。
取り締まるべきは、「児童本人が他人から見てほしくない画像」だと思います。大人が見て興奮するかどうかなど、一切関係ないはずです。
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歓楽街で泥酔した大人を、面白半分に盗撮した画像アカウントが人気のようです。
あなたは、自分がマヌケな顔をして居眠りしている写真を、赤の他人から見られたいと思いますか? 酔っ払って醜態をさらしているところを撮影されたら、ひどい屈辱を味わうのではありませんか? 僕なら、盗撮した人を許しません。告訴するだろうし、この世から画像を消しさりたいです。
(性)虐待画像を取り締まってほしい気持ちは、そんなところに根ざしているような気がします。
「自分だったらイヤだな」という皮膚感覚を棚に上げて、抽象的に「子供のため」と言うから、「児童ポルノ根絶を訴えながら、児童買春をする」ような矛盾が生じるのです。
ようするに、○○を規制しろ/規制するな以前に、「筋を通してくれ」と、僕は言っています。
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「事が大きければ大きいほど岩のように静かであれ」
――『風の谷のナウシカ』 新装版1巻より
映画を見て、大声で泣いても、すすり泣きながら帰ってもいいと思います。感情を爆発させることは大事です。僕自身、よく泣きます。
しかし、泣いた事実を作品の評価に代えるべきではない。陶酔している状況で、正確な実りある判断が下せるとは、とても思えません。
もちろん、映画にかぎった話ではありません。
(C) 羽海野チカ/集英社・ハチクロ製作委員会 (C) 羽海野チカ/集英社・ハチクロ II 製作委員会
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