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来月発売の本に掲載される僕の記事に、「映画のネタバレを含んでおります」と注記されてしまった。
ウェブ媒体ならともかく、作品の批評や分析を主なコンテンツにしている本が、「ネタバレ」などというバズワードを使うのは危険なので、「あらすじに触れております」に替えてもらった。
その「あらすじ」も原作マンガを読めば分かるし、刊行ずみの関連本にも掲載されているし、いまさら「ネタバレ」もクソも……なんだけど、放送前・公開前の作品について、製作側がナーバスになるのは当然のこと。なので、最近は試写会で「以下のことはSNSには書かないでください」とお願いされるのはもちろん、誓約書を書かされることも増えてきたし、僕も納得してサインしている。
『シン・ゴジラ』のラッシュ試写会では、ゴジラの形態変化や作戦内容についてはSNSなどに書かない旨、誓約書をかわした。
確かに、『シン・ゴジラ』は予備知識なしで見てこそ驚かされるタイプの映画だし、厳重な緘口令が大ヒットにつながったのだと思う。僕も、「ネットでうっかり情報を見てしまう前に、早く!」と、友だち2人を強引に連れていったぐらいだ。
だけど、「僕もラッシュを少しだけ見ているんだけど、ラストは結局どうなるの?」と聞きたがる人がいたので、「本当にいいんですか?」と確認してから、在来線爆弾のことなどを話した。その人は結局、10回以上も映画館に足を運んだ。ラストがどうなるか知っていても、「映画を見る動機」に影響しない……場合もある。
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僕がこわいと思っているのは、「ネタバレ」という言葉が、「言ってはいけない」行為の禁止とセットで使われるから。
何が映画の「ネタ」なのか共有されていないのに、とにかく「見てはいけない」「言ってはいけない」ことになっている。これでは言論が衰退するより、はるか以前の段階で、議論や思考が遠ざけられてしまう。「黙っているのが得」な状況は、「黙っていないヤツはルール違反を犯している」「自由に話しているヤツを罰しろ」「黙らせろ」に繋がる。何より、「映画を見て、自ら考える」主体性を脅かすと思う。
思ったことを堂々と言えるのは、自己肯定できている証拠。「言うな」「話すな」の抑圧社会は、個人の自己肯定感を希釈する。日本社会が「黙っているのが得」なのは、単に「みんな、自分に自信がない」からだ。
だから、「どこからどこまでとは厳密に規定はしないけど、とにかく話してはいけない」ルールをありがたがる。小学校の教室を支配していた「先生に言いつけるぞ」圧力と同質の、空っぽで幼稚な、それゆえいくらでも拘束力の強まるルール。
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「児童ポルノ」という言葉に警戒せねばならないのは、「どういうものを指すのか分からない」「もし分かっていたら通報せねばならない」脅迫性・隠蔽性を有しているから。
「何が児童ポルノかって? 児童ポルノは児童ポルノだろ、いけないに決まっている!」というツイートを見かけたとき、その思考や判断の放棄、主体性の棄却ぶりに慄然とした。
「群盲象を評す」の状態を招き寄せているのは、「ネタバレ」も同じではないだろうか。
「ネタバレ」という俗語を避けるため、「物語の結末に触れております」と注記されている場合もある。映画の「ネタ」は「物語の結末」なのだろうか? ラストシーンが映画の価値を決めるのだろうか? ラストシーンを文字で読んだら、その映画は見る価値がなくなるのか? ――もはや、そうした問いかけすら、タブー視されてはいないだろうか。
冒頭に書いた自分の記事の場合、製作サイドが注意しているのは、映画後半に主人公の身におきる出来事であり、「出来れば伏せておきたい」程度であろう(何しろ原作を読めば分かることなので)と類推して、「あらすじに触れております」に替えさせていただいた。
このように、個別に対応策を考え、関係各所に納得してもらう。そのために信頼関係を築くわけだし、早めに原稿を納めて、各々が考える時間をつくるわけだ。
関係者にコビを売るのではない、読者に実りある豊かな情報を提供し、よりよく世の中を転がして発展させてもらいたいと、腹の底から願うからだ。「ネタバレ」という赤いスタンプで、他人を威嚇したくない。
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コメント
ネタバレ。食らいましたよ「君の名は。」観る直前に、某サイトに書かれていた、二人の○○にズレがあるとか、あの街にどんなことが起きるのかとか。
お蔭で映画館で観たときに新鮮な驚きにならずに、あまり感動できませんでした。
「思ったこと」を自由に言うのは構わないでしょう。それはネタバレを伏せていれば。その作品を見ないと知り得ない内容を言ってしまって、これから観る者にマイナスになってしまう「ネタバレ」はやはり避けて欲しいと思いますよ。
投稿: 麿 | 2016年10月 3日 (月) 21時56分
■麿さま
こんにちは、はじめまして。コメント、ありがとうございます。
麿さんのおっしゃる「ネタバレ」の「ネタ」は、「二人の○○にズレがあるとか、あの街にどんなことが起きるのかとか」、つまり映画の中の“出来事”ですね。
公開して間もない映画について、「何が起きるのか」仔細に書くのは良くない、やめてほしいという意見は、とてもよく分かります。
しかし、それは麿さんが「こういうのは良くない、避けてほしい」と具体的におっしゃってくれたから分かったことで、送り手に近い立場の人間が「ネタバレ」という言葉で曖昧な禁則事項を増やすのは健全ではない…と危惧しています。
同じ「ネタバレ」でも、程度や定義は個人によって、状況によって異なるものだと思っています。
投稿: 廣田恵介 | 2016年10月 3日 (月) 23時24分