« ■0919■ | トップページ | ■0922■ »

2016年9月21日 (水)

■0921■

見逃した名作も見つかるかも…? #女性映画が日本に来るとこうなる が「どうしてこうなった」続出(
日本の映画ポスターは何故ダサいのか(

前者は「女性映画」というカテゴライズの偏狭さゆえ、かぎりなく難癖に近づいていく(音楽がモチーフの『はじまりのうた』は「女性映画」なのか?)が、何が不満かは、よく分かる。後者は現状分析をまじえた、かなり建設的な議論だ。
日本はアメリカ、韓国、ヨーロッパに比べて、絶望的に年間入場者数が少ない(「統計で見る世界映画産業の情勢」)。
「年に一回、映画館に行くか行かないか」という意識の人を振り向かせるには、パッと見た分かりやすさと通俗性に訴えるしかない。映画館へ行かないかわりに、CMが垂れ流しの地上波テレビを見ている日本人は多いだろうから、軽佻浮薄なタイトリングと派手なポスターは論理的帰結ではないだろうか。
(少ない観客を奪いあうため、表現は多様性を喪失していく。)

『ぼくのエリ 200歳の少女』と『ヴィオレッタ』で配給会社を取材したが、タイトルやポスターに関して、配給会社は現地法人に許可を求めながら進めていた。前者に関しては、決定権をもっているのは女性社員の方だったので、「オッサン担当者が勝手な女性像を押しつけている」のは幻想であろう。


「原題に対して邦題のタイトルがひどい」という論評を初めて目にしたのは、シガニー・ウィーバー主演の『愛は霧のかなたに』。1988年のことだ。
原題は“GORILLAS IN THE MIST”(霧の中のゴリラ)。見たことがないので、あとでレンタル屋で探してみよう。

同年、『孔雀王』公開にあわせて行われた一瀬隆重プロデューサーの講演に足をはこんだことを思い出す(僕は当時、日大映画学科の学生だった)。
A0305461_548554一瀬プロデューサーは、『帝都物語』の「東京には、怨霊がおんねん」という宣伝コピーを却下した人物だ。その結果、同作の新聞広告には「これが映画だ。」のコピーが踊った。(左のポスターを見ると、「我を祟めよ」がメインのコピーとなり、「これが映画だ。」は小さく書かれている。)

その講演で、一瀬プロデューサーは「映画の宣伝は、ちょっとダサくするのがコツ」と述べていた。言われみればなるほど、映画のポスターやコピー、雑誌の表紙などを見ていくと、「ちょっとダサい」ものが幅をきかせている。オシャレなものは、少数の客を相手にしたものに限られる。
「ダサくなった」のではなく、「ダサくした」可能性を忘れてはならない。


僕はレンタル店では、「ヒューマン」「ドラマ」の棚を漁ることが多い。『素敵な人生の○○』『しあわせの○○』といった邦題ばかりなので、原題も確認する。しかし、難解な原題だと戸惑ってしまうのも確かだ。

1995年、香港映画『恋する惑星』が話題になった。
ウォン・カーウァイの映像センスにも魅了されたが、何より邦題がよかった。映画雑誌で、配給のプレノンアッシュに邦題について訊いたインタビューが載っていたように記憶する。邦題のセンスのよさが、映画の印象をかっさらってしまった好例だ。
原題は『重慶森林』、英語圏では“Chungking Express”。『恋する惑星』のセンスのよさは断トツだ。それゆえ、『恋する○○』は20年たった現在でも、安易に多用されている。
(“Chungking Express”の北米配給は、クエンティン・タランティーノの配給会社Rolling Thunder Pictures。)

邦題のタイトルのダサさ……というより、多様性の低さは「映画館に足を運ぶ人が少ない」窮状が招いているにすぎない気がする。
その状況を裏づけるデータがネットにあふれているのに、「日本は文化的後進国」と嘆いていても、何も変わらない。

|

« ■0919■ | トップページ | ■0922■ »

コメント

コメントを書く



(ウェブ上には掲載しません)




トラックバック

この記事のトラックバックURL:
http://app.cocolog-nifty.com/t/trackback/106227/64235043

この記事へのトラックバック一覧です: ■0921■:

« ■0919■ | トップページ | ■0922■ »