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2016年8月10日 (水)

■0810■

Febri Vol.36 本日発売
61cl4u6yzyl_sx350_bo1204203200_●Febri Art Style
『夕やけだん団』、 美術監督・今野明美さんのインタビューと背景美術を構成しました。
編集部からは、話題になった深夜アニメを薦められたのですが、それなら他の人がやればよいので、僕自身が「面白い」「美術がよい」と確信した『夕やけだん団』を推させていただきました。

●アニメファンのための夏の課題図書 Febriライター陣オススメの、アニメをより深く理解するための良書9選!
落合陽一さんの『魔法の世紀』を推薦しました。
あまりにも皆さん、「テーマが」「ストーリーが」と言いすぎると感じているので、映像作品は原理ではなく文脈でしか感動できない時代になって久しいですね……という話をしています。その部分は丸々、落合さんの本から引用しています。
ではなぜ、いまだにアニメを見て驚いたり感動したりするのか。アニメを駆動させている原理には、まだまだ未発見な部分があるのではないか。僕らは原理に鈍感になっているがゆえに、「テーマが」「ストーリーが」と誤魔化してやいないか、といった話を書いています。

この号では、ライターの多根清史さんが『我々は如何にして美少女のパンツをプラモの金型に彫りこんできたか』の書評を、書いてくださったそうです。
もうひとつ、評論家のさやわかさんも「ダ・ヴィンチ」9月号()に書評を書いてくださいました。模型関係の外部へ、じわじわ広がってきました。

●週刊 東京ウォーカー+ No.20) 配信中
P002_b000000000006313_00_coverコラム「ネタバレ御免! 極私的シン・ゴジラの愉しみ方」の第一回を書きました。

ピーター・ウィアー監督『いまを生きる』のラストシーンが、どうしても『シン・ゴジラ』のディテールの魅力を説明するのに欠かせないように思えたので、そこから話をはじめています。
『いまを生きる』のラストは、「恩師を見送るため、ルールを無視して机の上に立つ生徒たち」という感動的なシーン。しかし実は、立っている生徒はクラスの半分だけ。のこり半分の生徒は、背中を向けて座ったままです。
その「現実なんてこんなもんさ」という覚めた視点と「事実に対する謙虚さ」が、『シン・ゴジラ』を貫く幹であるような気がしたのです。


さて、その『シンゴジラ』。IMAXでの上映が本日で終わってしまうので、昨日、原稿を早めに納品して、朝から見てきました。
ラッシュ試写は編集者と、通常上映は友だち2人と見たので、ピンで見るのは今回が初。隣の席では、ごく温厚そうなオジサンと娘さんがポップコーンを食べていた。
ネットで、さんざん深い考察や批判意見を読んできたので、落ち着いて見ることができた。「人間ドラマが欠落している」という意見も、まあ分からなくはないんだ。「福島第一がこんな状態なのに、ラストが楽観的すぎないか」という苛立ちも、そう言いたい気持ちは分かった。
だけど、僕からすれば、『シン・ゴジラ』は実験映画だよ。
「映画中盤で大敗北して、そこから坂をのぼるようにしてクライマックスで逆転する」のは、脚本のテクニック。娯楽映画として、最低限の体裁は守られている。その王道パターンを「断片的ディテールの積み重ねのみで見せる」構造が、異常なんです。
海外で賞をとりまくっている是枝裕和監督でも、カットワークに関してはフェティッシュな執着をもつ原田眞人監督でも、ヒットさせるための保険はかけているはずです。『シン・ゴジラ』は、観客の理解度のみを信頼し、肉声で語りかけてくる。

僕が『シン・ゴジラ』を「怖い」と感じる理由は、「ほら、すごく面白いでしょ?」と突きつけてくる、根拠なき確信の強さなんです。

(C)2016 TOHO CO.,LTD.

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