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2016年8月 4日 (木)

■0804■

レンタルで、『しあわせの隠れ場所』。
335925_01_01_02この邦題にひるんではいけない。冒頭、淡々とアメリカン・フットボールのルールが解説され、「おや?」と思わせる。たとえ「ヒューマン」「感動ドラマ」の棚にあろうが、アカデミー作品賞ノミネート作はあなどれない。知性を感じさせるオープニングだ(原題の“The Blind Side”は、フットボール用語)。
薬物依存の母親から引き離され、行くあてのない黒人の青年が、サンドラ・ブロック演じる白人女性の好意で、裕福な家庭にひきとられる。最初は遠慮していた青年だが、家庭のありがたみを知り、フットボールの才能を開花させていく。
家族全員、あまりに善人ぞろいでウソっぽくなりそうなところだが、当時45歳だったサンドラ・ブロックの毅然とした演技に説得されてしまう。だいたい僕は、成人女性がキビキビと立ち回り、どんどん自己実現させていく映画が好きだ。『コンタクト』とか『エリン・ブロコビッチ』とか。

それにしても、出来すぎた美談でしょう、いくら何でも?……と、疑問がピークに達したあたりで、実は善人ぞろいの一家がミシシッピー大学出身で、同大学に寄付もしていたことが明かされる。母校に、有能なフットボール選手を入学させるため、すべて計算づくで薄幸の青年を引きとった可能性がある……やけに生々しい設定だなと思ったら、ラストで実話であると知らされる。
青年は「僕は、自分の意志でミシシッピー大学を選んだんだ」と胸をはるが、家族への疑念が晴れたわけではないので、ちょっとモヤモヤしたものが残る。だけど、これは元気に動き回るサンドラ・ブロックを見て楽しむ映画なので、細かいことは気にしない。


『シン・ゴジラ』は、公開から数日のあいだに、とんでもない話題作になってしまった。興収は、もちろん第一位でスタート。
いちばん驚かされたのは、戸田真琴さんのブログの感想()。人に、こんなことまで考えさせる、書かせるとは、とんでもない映画というか体験だと、あらためて感じ入る。もちろん、戸田さんの文章力は素晴らしい。澄んでいる。

この前は、寺山修司と並べて書いたけど、『シン・ゴジラ』は実験映画に近い。
もっと社会を戯画化して、噛み砕いて分かりやすくする方法はある。それをやらずに、ゼロから積み上げている。約束ごとに逃げてないから、その分、見ている側は不安になる。その不安、知っている「映画」ではない未知のものと向き合ってしまった体験を、みんな「面白い」としか表現できないし、そもそも「面白い」とは怖いこと、不安になることと結びついていたような気がしてくる。

で、自分の中で似た体験を探すと、18歳のときにぶっ続けで見た、寺山修司の映画なんだよねえ……。
寺山も『シン・ゴジラ』も、終わってくれない映画。もう、見る前には引き返せない。


批判的な意見で目立つのは、「もっと人間描写を入れろ」かな。ようは、よくある普通の映画にしてくれと言っている。
だけど、主人公の家族だとか恋人だとか、過去のつらい体験だとかを赤裸々に描けって要求は、マスコミが犯罪被害者の身の上を根ほり葉ほり聞き出す下劣さを思い起こさせる。家族を人質にとるような、下卑た態度ではないだろうか。

プロとして現場に立って働いている人に向かって、「しょせん、お前だって普通の人間だろ? 家に帰れば、いろいろしがらみがあるんだろ、どうせ?」と、足元をすくおうとしているような。
単に、他人に対する敬意が足りないんですよ。日本映画って、それをやってきたんだよ。「冷静に見えるこの男にも、実は愛する人を失ったつらい過去が!」って、貶めてきたのだよ。「しょせん、こんなもん映画じゃん」と、自らを卑下してきたようにさえ思う。

しかし、風穴は開いた。「まだまだ、やれる」ことを証明してしまった。
あなたは、自分の仕事に対して、どこまで誠意をもって臨めますか。そう問われている気がする。

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