« ■0731■ | トップページ | ■0804■ »

2016年8月 2日 (火)

■0802■

『ももくり』というアニメを、ぼんやり見ていた。
第7話の冒頭、早柿莉央(さかき・りお)という長身でボーイッシュな女の子が、同学年の女子からモテて戸惑う、という描写がある。実は、莉央は内心、クラスの背の低い少年を気にいっている。
「私は、自分にはないものだから、小さくてかわいいものに、すごく憧れる」……莉央のモノローグを聞いたとき、自分でも驚いたことに、目から涙がこぼれ落ちた。

小さくていじめられっ子な反面、悪魔のような知力を秘めた写楽に魅せられている和登千代子は、最高のヒロインだ。自分のことを「ボク」と呼ぶ彼女が、写楽を風呂に入れてやるシーンには、小学生ながらゾクゾクさせられた。
先日も書いたように、『11人いる!』のフロルベリチェリ・フロルにも傾倒していて、べらんめえ口調で威勢のいい彼(彼女)が、プロポーズされて頬を赤らめるシーンを、うっとりと何度も読みかえしたものだった。
スウェーデン映画『マイライフ・アズ・ア・ドッグ』でも、サッカーの得意な、一見して美少年のような少女、サガにハートをつかまれた。サガは女であることに隠し、膨らんできた胸にさらしを巻いて、サッカーを続けようとする。そこまで男のフリをしようと懸命だった彼女が、最後にはスカートを履いてしまうシーンを、とても惜しい、残念だと感じた。

僕は、男になりたくなかった。小学6年生のころは髪を長くのばしていて、女子に間違われると、ようやく自分が認められたような気持ちになった。
ボーイッシュで、性の越境にとどまりつづけているフィクション中の少女たちに強く魅了されるようになったのは、第二次性徴のあらわれる少し前のことだった。彼女たちへの憧れは、思春期の一歩手前で足踏みしていた僕の心のシッポのようなものだ。いくつになっても、完全に消えうせることはない。痕跡は残る。


『感じない男』を読み終えた。
自分の体を汚いと感じ、それでも第二次性徴を迎えねばならず、無理やり「男らしく」振舞おうとした著者は、ロリコン趣味と制服フェチに陥ってしまう。自分の性を肯定できない著者の気持ちは、痛いほど分かる。
しかし、自身が制服少女に惹かれるからといって、美少女フィギュアやアニメに熱中するオタクたちを問答無用で「ロリコン」にくくってしまうくだりは、あまりにも粗っぽい。
著者のいう「ロリコン」とは「モーニング娘。」をはじめとするアイドルのことであって、アイドルたちがいかに性的イメージに彩られているか、写真集の一枚一枚、仕草やメイクのひとつひとつまで仔細に、主観たっぷりに検討しているのに、アニメやフィギュアについては、ろくすっぽ調べていない。
美少女イラストのポータルサイト「萌駅」を唐突に引用して“現在の日本では、萌えキャラの中心年齢は「十一歳」と「十二歳」”と類推しているのだが……初耳だよね、それは。

著者の森岡正博さんは、バルテュス展の広告を見て、「芸術の名を借りた児童ポルノ絵画」と呼んだほど大雑把な感覚の人なので、そこが限界なのだろうと思う。


僕は、自己否定の感情を、かなりフィクションに救われてきた。
このブログにも、『我々は如何にして美少女のパンツをプラモの金型に彫りこんできたか』に書いたように、『装甲騎兵ボトムズ』のキリコの立ち振る舞いを見て、「ひとりで黙っているのは恥ずかしいことではない」「むしろカッコいいことなのだ」と勘違いしたけど、おかげでクラスで孤立している状況を苦しいとは感じなくなった。

ボーイッシュな、性差を超越した生き方をしている少女キャラクターを好きなのも、「男になりたくなかった自分」を、何らかの形で許してあげたいからなのかも知れない。
『銀河漂流バイファム』に、シャロンという髪の短い女の子が出てくる。自分のことを「オレ」と呼ぶくせに、おばけを怖がるシーンがあって、あまりに可愛いので、この歳で惚れこんでしまった。
別にね、アニメキャラを異性として好きになることって、そのキャラを裸にしたいとかセックスしたいとかってことではないんだよ。森岡正博さんは、そこをまったく分かろうとしない。
やっぱり、オタクのセクシュアリティって、内側から発していかないと理解されないね。

|

« ■0731■ | トップページ | ■0804■ »

コメント

コメントを書く



(ウェブ上には掲載しません)


コメントは記事投稿者が公開するまで表示されません。



トラックバック

この記事のトラックバックURL:
http://app.cocolog-nifty.com/t/trackback/106227/64001899

この記事へのトラックバック一覧です: ■0802■:

« ■0731■ | トップページ | ■0804■ »