■0630■
連日の取材・打ち合わせラッシュが始まる前に、レンタルで『ストックホルムでワルツを』。スウェーデン映画。
昼間は電話交換手、夜はジャズ・クラブで歌うシングル・マザーが、少しずつ有名になっていく。フィクションだろうと思って見ていると、『私は好奇心の強い女』の監督、ヴィルゴット・シェーマンが出てきて、びっくりさせられる。クライマックスには、ビル・エヴァンスやマイルス・デイヴィスまで登場する。
これは、スウェーデンの国民的ジャズ・シンガー、モニカ・ゼタールンドを主人公にした実話なのだ(原題は、シンプルに『Monica Z』)。
ステージで倒れたモニカが、病院に座っている。そのカットは、手前に大きくモニカの横顔が入っているだけだ。画面に白衣の医者がフレームインしてくるので、病院だとわかる。
医者が長期療養が必要だとつげて立ち去ると、彼はピントの外れた背景へと溶け込んでしまう。被写界深度が浅く、手前に何かボケたもの(花だとか人の頭だとか)を置いている。カメラも手持ちが多く、カットワークはラフだ。その臨場感が心地よい。
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しんみりしたシーンで、ピアノ曲が流れはじめる。シーンが変わっても、その曲はつづき、実はモニカがステージで歌っている曲の前奏なのだとわかる。彼女の曲が流れたまま、また別のシーンへとつながる。
こういう映画は、信頼できる。語り口が、堅実だ。
ストーリーは追わないつもりだったが、自殺未遂までおかしたモニカが創作意欲をとりもどし、ビル・エヴァンスと競演するラストには泣かされる。実に滋味ぶかい、よく出来た映画なのだが、日本では小規模公開だった。もったいない。
主演のエッダ・マグナソンが、とにかく美しい。本業は歌手で、これが映画デビュー作だという。『コンタクト』や『エリン・ブロコビッチ』のように、女性がひとりで、ガツガツとがんばる映画が好きな人なら、必ず気に入る。
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GIGAZINEのインタビュー(■)で、ちょっと児童ポルノ規制法について触れた。また、『セーラームーン』のミュージカルで降板されたアイドルについても、話した。
どうも、そこにかこつけて、ジュニアアイドルのDVDこそが児童ポルノだという文脈にもってきたがる人がいるようだが、「自分がエロいと思うので取り締まるべき」という主観を正当化するため「児童ポルノ」という言葉を援用するのは、いい加減におやめなさい。だから、ポルノではなく「性虐待記録物」と呼ぶべきなんです。
山田太郎議員を通して、僕が国会に提出した『実在児童への性暴力写真に関する請願書』の記事、読んでください(■)。
「この裁判での判決は、児童ポルノの定義を、端的に言えば局部が見えているか見えていないかでまずは判断するという、信じられない結果だけを残したことになります。この点は、国会での法の審議の際にも、私が散々指摘をしていますが、児童がどんなに虐待されたとしても、ポルノでなければ処罰の対象にはならない、というこのおかしな事実」……
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この請願書が「審査未了」になってから、僕は文部科学大臣の馳浩さんの事務所あてに送りました。反応ないです。名前は書きませんが、女性なら関心をもってくれるのではないかと思い、ある女性議員にも送りました。まったく反応ないです。
考えられないですよ。顔が写ってなくて、性器が映っていたら一般人が興奮するからダメ。性器は映ってないけど、無理やり精液をかけられた顔写真は、「性的に興奮しないから、罪に問わない」なんて。
たぶん、この大人社会の根底に「性的に興奮するのは、恥ずかしいこと」「けしからんこと」という古風な道徳観が横たわってるんでしょうね。
それでいつも、「○○に興奮するヤツら、気持ち悪い」「ズリネタが大事なだけなんだろう」という話にされる。他人の性って、はかり知れないものだと思いますよ。その人の生い立ちや育った環境、倫理観に根ざしているはず。「生身の女性に相手にされないから、代わりになるもので発散している」ほど簡単ではない。
男装の麗人オスカルに憧れた小学6年生の僕は、『ベルサイユのばら』の「人の心に命令はできない」というセリフに、震えるほど感動しました。
他者への加害行為は厳しく禁ずるべきだけど、「心には命令できない」、それがすべてです。
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