■0621■
ホビー業界インサイド第12回:1/12スケール銃器のプラモが、小説やゲームに進出! トミーテック「リトルアーモリー」開発担当者、インタビュー!(■)
今回は、アキバ総研サイドからの提案で決まった取材でしたが、大当たりでした。開発担当者、みんなノリノリでした……というより、これは「制服を着た少女が、銃器を構えて戦う」という、ひとりの男の脳内妄想を、「プラモデル」という最も即物的・世俗的な方法を使ってこの世に示現せしめた、ひとつの物語だと言えましょう。
「表現」というレベルでは、ヘンリー・ダーガーの長大な妄想小説やイラスト群と、なんら変わるところのない、同質の価値を有していると思います。
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最近、レンタルで見た映画は『クリード チャンプを継ぐ男』、『シンデレラ』(実写)、『ガガーリン 世界を変えた108分』など。
アニメでは、『くまみこ』最終話の「無理しなくていい、考えなくてもいい」という結論にモヤモヤさせられつつも、「その一言でコンプレックスから解放されるんなら、ぜんぜんアリ」と納得させられた。
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昨夜は、GIGAZINEさんから、『我々は如何にして美少女のパンツをプラモの金型に彫りこんできたか』(■)について、取材を受けました。「模型雑誌から、取材は来ないんですか?」と不思議そうな顔をされたけど、まあ来ないでしょうね。モデグラ誌の若い担当者が、表紙を見て感激していたくらいで。
その取材の場で話題に出したことですが、『15歳美少女アイドルが“過去の仕事”を告発され舞台「セーラームーン」を降板』(■)。
「沢山のクレームがあったと聞いて、仲間や、セーラームーンのファンの皆様に迷惑をかけてはいけないと思い自分から降板しました」……まだ15歳の、これが初めてのチャンスだという子の未来を土足で踏み潰した大人たちは、どれだけ美しく、清潔な仕事をしてるんだ? お前たちが、どれほど清く正しい仕事をしてきたんだよ? よくもまあ、そこまで他人の過去を掘りかえして、ぬくぬくした安全圏から狙撃できるものだ。そのゲスい心根の薄汚さに、ほとほと感服する。
結局、『セーラームーン』はジュニアアイドルとか水着のDVDとか、ああいう汚れた文化とは関係ないんです、もっと綺麗で清潔なんですって理屈でしょ?
作品の印象は、観客が勝手にイメージするものであって、送り手は観客の心までコントロールできない。むしろ、そこまでナーバスになっている送り手側を見ていると「何かやましいところでもあるんですか?」と勘ぐってしまう。
自ら降板したという黒木ひかりさんを「気にせず、頑張れ」とかばった関係者や『セーラームーン』ファンもいたはず、と信じたいです。
一方で、「私たちだけは健全です」というドス黒い矜持のために、15歳の努力と才能を犠牲にするクソッタレな大人社会に、無理に自分をあわせる必要もない。時間をかけて色々な価値観と出会い、自分なりの幸福と安寧をつかんでほしいとも思います。
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以前にも、日本テレビが、キャバクラで働いた経験をもつ22歳女性の内定を取り消したことがあったけど、そのときの局側の言い訳は「アナウンサーには高度の清廉性が求められる」。
だけど、日本テレビの偉いおじさんたちは、役員面接で、彼女のルックスを査定したわけですよね。女性の外見を寝踏みするオヤジたちの心は、高度に清廉なんでしょうか。
いかに清廉なイメージをアピールしたつもりでも、「女子アナ」と聞いただけで下世話な妄想をする、性的な目線で見てしまう視聴者もいるだろう。だけど、それは果たして悪いことなんでしょうか。「綺麗/汚い」に二分しすぎなんですよ。人の心を。
誰の心にも、汚く見苦しい部分はあるはず。自分の醜さを自覚することは知性であり、勇気です。
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そして、女子アナの内的取り消しのニュースを調べていたら、彼女が日本テレビを告訴したことを「図太い」と書いているブログがあった。不当な目に合わされた若者が、適法な経路で戦おうとする勇気を「図太い」とコキおろす卑屈な大人たちのいる日本って、どれだけディストピアなんだと思います。
大事なのは、こういう事態を見ながら、ちょっとずつ自分の考えや行動を軌道修正していくことです。
はじめから正しい人はいないし、いまの自分が絶対に正しいとは限らない。
確実なのは、自分より弱い人には、優しくしないといけない。人の痛みを想像しながら行動すれば、そうそう間違ったことにはならないはずだと、僕は信じています。
誰かが犠牲になるのではなく、誰もが幸せになることは不可能ではないし、その理想を捨てたそばから、世の中は腐ってくんですよ。■
「表現」というレベルでは、ヘンリー・ダーガーの長大な妄想小説やイラスト群と、なんら変わるところのない、同質の価値を有していると思います。
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最近、レンタルで見た映画は『クリード チャンプを継ぐ男』、『シンデレラ』(実写)、『ガガーリン 世界を変えた108分』など。
アニメでは、『くまみこ』最終話の「無理しなくていい、考えなくてもいい」という結論にモヤモヤさせられつつも、「その一言でコンプレックスから解放されるんなら、ぜんぜんアリ」と納得させられた。
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昨夜は、GIGAZINEさんから、『我々は如何にして美少女のパンツをプラモの金型に彫りこんできたか』(■)について、取材を受けました。「模型雑誌から、取材は来ないんですか?」と不思議そうな顔をされたけど、まあ来ないでしょうね。モデグラ誌の若い担当者が、表紙を見て感激していたくらいで。
その取材の場で話題に出したことですが、『15歳美少女アイドルが“過去の仕事”を告発され舞台「セーラームーン」を降板』(■)。
「沢山のクレームがあったと聞いて、仲間や、セーラームーンのファンの皆様に迷惑をかけてはいけないと思い自分から降板しました」……まだ15歳の、これが初めてのチャンスだという子の未来を土足で踏み潰した大人たちは、どれだけ美しく、清潔な仕事をしてるんだ? お前たちが、どれほど清く正しい仕事をしてきたんだよ? よくもまあ、そこまで他人の過去を掘りかえして、ぬくぬくした安全圏から狙撃できるものだ。そのゲスい心根の薄汚さに、ほとほと感服する。
結局、『セーラームーン』はジュニアアイドルとか水着のDVDとか、ああいう汚れた文化とは関係ないんです、もっと綺麗で清潔なんですって理屈でしょ?
作品の印象は、観客が勝手にイメージするものであって、送り手は観客の心までコントロールできない。むしろ、そこまでナーバスになっている送り手側を見ていると「何かやましいところでもあるんですか?」と勘ぐってしまう。
自ら降板したという黒木ひかりさんを「気にせず、頑張れ」とかばった関係者や『セーラームーン』ファンもいたはず、と信じたいです。
一方で、「私たちだけは健全です」というドス黒い矜持のために、15歳の努力と才能を犠牲にするクソッタレな大人社会に、無理に自分をあわせる必要もない。時間をかけて色々な価値観と出会い、自分なりの幸福と安寧をつかんでほしいとも思います。
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以前にも、日本テレビが、キャバクラで働いた経験をもつ22歳女性の内定を取り消したことがあったけど、そのときの局側の言い訳は「アナウンサーには高度の清廉性が求められる」。
だけど、日本テレビの偉いおじさんたちは、役員面接で、彼女のルックスを査定したわけですよね。女性の外見を寝踏みするオヤジたちの心は、高度に清廉なんでしょうか。
いかに清廉なイメージをアピールしたつもりでも、「女子アナ」と聞いただけで下世話な妄想をする、性的な目線で見てしまう視聴者もいるだろう。だけど、それは果たして悪いことなんでしょうか。「綺麗/汚い」に二分しすぎなんですよ。人の心を。
誰の心にも、汚く見苦しい部分はあるはず。自分の醜さを自覚することは知性であり、勇気です。
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そして、女子アナの内的取り消しのニュースを調べていたら、彼女が日本テレビを告訴したことを「図太い」と書いているブログがあった。不当な目に合わされた若者が、適法な経路で戦おうとする勇気を「図太い」とコキおろす卑屈な大人たちのいる日本って、どれだけディストピアなんだと思います。
大事なのは、こういう事態を見ながら、ちょっとずつ自分の考えや行動を軌道修正していくことです。
はじめから正しい人はいないし、いまの自分が絶対に正しいとは限らない。
確実なのは、自分より弱い人には、優しくしないといけない。人の痛みを想像しながら行動すれば、そうそう間違ったことにはならないはずだと、僕は信じています。
誰かが犠牲になるのではなく、誰もが幸せになることは不可能ではないし、その理想を捨てたそばから、世の中は腐ってくんですよ。■
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