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【懐かしアニメ回顧録第19回】アニメにおける「メカ」の役割を、「ジャイアントロボ 地球が静止する日」で考えてみる(■)
1992年、まだ発売前の『ジャイアントロボ』を、あるCM制作の打ち上げ後、深夜のデン・フィルム・エフェクトで見せてもらいました。デン・フィルムは当時、『ゴジラvsモスラ』のエフェクト作業をやっていて、バトラの発するビームを作画していました。
その夜、スタッフの方が「ビジュアル・イメージの想像性では、アニメの方が実写を上回ってしまって……これは、ウチをやめたスタッフが参加している作品ですが」と見せてくれたのが、『ジャイアントロボ』。
当時は実写映像の周辺に身をおいていたけれど、「バシュタールの惨劇」のシーンを見て、ひさびさにアニメを見る気になったのでした。
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ここ3回ほど、同じようなことが連続してあったんだけど……
以前、誰かの紹介や何かのキッカケでお会いした方に、「廣田と申します。おりいって、お願いしたいことがあります」とメールを出す。
ところが、1週間どころか、2週間も3週間も、まったく返事がない。「これは“廣田なんて、よく知らない相手だし、無視しよう”という意味なのだろうな」「仕方がない、あきらめよう」と判断し、別の方法を探しはじめる。
そこへ、「返事が遅れて、すみません」とメールがくる。しかし、3週間前とは状況が変わってしまっているので、「スケジュールを組みなおし、あらためてお願いしたいのですが」と返すと、「話が違いますね、それなら結構!」と怒られる……。
これ、僕がおかしいですか?
2週間どころか、1週間で、仕事の状況って変わるものではないんだろうか。それとも丸2週間、来るか来ないか分からない返事にそなえて、ずっとスケジュールを空けて待っていないといけない?
「すみませんが、お断りします」の即答、一言でいいんですよ。その一言さえあれば、こちらは直ちに代案に移行できる。
あきらめた頃に返事が来たら、実務的にスケジュールを切りなおさねばならない。時計の針は、元にはもどらない。それを今さら、「前とは話が違う」なんて言われても、浦島太郎じゃないんだからさ……
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クリエイティブな現場で、なぜかリーダーになってしまったアイデアの何もない人、NNさんの話を、何度か書いてきた(■)。
彼は、「廣田さん、アンタが正しかったよ。いろいろ悪かった」と言ってくれて、2人そろって会社をクビになったので、今さら憎いわけではない(その会社改変とリストラの日々の裏切りと策謀劇が、またすごかった! あれを、30代で体験しておいて良かった。これ、小説に書くべきだよ)。
「NNさんと、仲良くやってください」と、よく言われたものだった。とくにしつこく言ってきたのは、宣伝部のちょっと若いイケメン。あとから聞いたら、NNさんの従兄弟だという。そういう縁故採用が、やけに多い会社だった。
宣伝部の彼は、マイルドヤンキー風で、特にゲーム好きって感じではなかった。
なので、彼とはウマが合わなかったんだけど……僕が、勝手に「社内ゲーム企画コンテスト」を開いたことがあったんですよ。もう、総務部であろうとグラフィッカーだろうがプログラマーだろうが、アイデアのある人は企画書をつくって、みんなの前でプレゼンしようぜ!って。
もちろん、NNさんは何も持ってこないわけです。
だけど、NNさんの従兄弟のマイルドヤンキーさんが、すごくいいゲーム企画を持ってくるんです。今でも忘れられない、あの企画は。タイトルもアイデアもカッコいいし、プレゼンも上手かった。
周囲のウケも良かった。いちばん、支持が高かったと思う。
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それから僕は、マイルドヤンキーさんのデスクに、よく行くようになった。
「プランナーに近い仕事をしてみたら、どう?」と、よけいな誘いをかけるわけです。だって、こんな優れた才能を眠らせておくわけにはいかないでしょ。才能があるなら、僕は公平に見ますよ。「NNさんの従兄弟ならば、こいつも敵だ」とか、そういう考え方はしません。
ところが、「いやあ、俺には才能とか、そういうのはないっスよ」と、マイルドヤンキーさんは苦笑する。今にして思うと、彼はNNさんの顔を立てたかったんだろうな。
だって、NNさんは「シナリオ班」「演出チーム」のリーダーだもん。僕から見ると、リーダーの資格も資質も欠如していたけど、マイルドヤンキーさんにとっては「従兄弟」だから。誰の才能がどうとか関係なく、血縁や義理を優先したんだ。
それが、世間ってもんなんだろう。NNさんは、奥さんはいたし、子どもも生まれたし、何より「副社長と仲がいい」って理由だけで、リーダー職につけたわけです。会社に従兄弟もいて、味方になってくれるわけです。幸せじゃないですか。
才能なんていう、正体不明の気まぐれなモンスターに振り回されるより、人の縁や情で囲まれた人生のほうが安定しているし、温かいし、楽しいんだろうな。それらはすべて、僕の手からすり抜けていったものたち。
だからだ。だから、彼のことを小説に書きたいんだ。
僕は、挑んでは失敗し、多くのものが自分の人生から失われていくのを、両手をダラリとさげて見送ってきた。そんな自分の無力さに、酔いしれてさえいた。妻を手ばなし、母を奪われた。
だが、NNさんは違う。彼こそが日なたであり、僕は彼の影だったのだ。当時は、逆だと思っていた。
野心があること、アイデアがあることは、人生を穏やかにしてはくれない。
野心を捨てても、アイデアを捨てても、人生が穏やかになるわけではない。
取り戻せるものなんて、人生に何ひとつない。新たに獲得する以外にないんだよ。
(C)光プロ/ショウゲート/フェニックス・エンタテインメント■
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