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Febri Vol.34 明日発売予定
●Febri Art Style
今回は特集にあわせて、『昭和元禄落語心中』の美術ボードを掲載し、美術設定・美術監督の黛 昌樹さんに、インタビューを行いました。
このコーナーは、いつも何作品か候補を出しあって、結局は交渉のしやすい作品に落ち着くのですが、自分で納得できないかぎり、記事にはしません。
『昭和元禄落語心中』は、なんとまあ、このご時世に風流で、しっとりしたアニメーションがあったものだなあ……と感心したので、取り上げさせていただきました。
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インターネットは流れが速くて、先月の女子中学生拉致監禁事件も、もうそれほど話題にのぼらなくなりました。結局、僕が「?」と驚かされたのは、「オタク嫌いの女子中学生が、容疑者をワナにはめるため、わざと監禁されていたのでは?」という主旨のツイートだった。これでは、「痴漢=すべて冤罪」陰謀論と変わらない。
性犯罪事件の容疑者が若いと、「アニメ好き」であることをマスコミが強調したがるのは、社会全体に「純粋な楽しみ」「単なる快楽」としての性嗜好を、いましめる風潮が蔓延しているせいだろうと思う。
僕の年齢だと、たいていの人は結婚していて、子どもは小学生~中学生。たとえ僕と同年齢(アラフィフ)のアニメファンでも、「娘の好きな女児向けアニメのエロパロだけは、どうしても許せん」という人がいる。
アニメでもラノベでも、それらを原作にしたフィギュアの広告でも、「小学生は最高」「幼女は最高」と、あえてわざわざ露骨なセリフにすることで、世間の警戒心を煽ってしまっているのではないか……。
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むろん、アニメやラノベで使われる「小学生」「幼女」は、現実の「小学生」「幼女」を指してはいないだろう。だけど、単純で分かりやすい言葉ほど、広く伝播してしまう。ようするに、使う側が「主人公の内的嗜好の文脈上の誇張表現であって、現実の児童に危害は加えませんよ」と思っていても、言葉が簡素すぎるため、あっさり「外部」へ伝わってしまうのだ。
よって、「小学生は最高」というセリフだけを聞いたとき、小学生を子どもに持つ親御さんが「オタクは怖い」「アニメを見ている連中は危ない」と警戒する可能性は、おおいにあり得る……というより、当たり前のリアクションではないだろうか。
僕はそう思ったので、せめてフィギュアの広告からは、その手の分かりやすい(伝わりやすい、誤解されやすい)セリフは、外していただいた。ようするに、クレームを入れたのです。
これ以上、フィギュアを「犯罪者の嗜好品」扱いさせないためには、社会と折り合いをつけなくてはいけない。「こちらが先に一歩譲ったのだから、今度は、そちらが譲る番ですよ」と言えるようになるためにも。
「表現の自由なんだから、オタク趣味だけ治外法権にしろ」では、かえって居場所が狭くなるのではないだろうか。表現は、つねに批判される危険性をもっている。その批判をかわしたり反論したり、先手を打ったり無効化したり……というやりとりも込みで、「自由」だと僕はイメージしている。■
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