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スペースネイビーヤード: 宇宙艦船電飾模型モデリングガイド 明日発売予定
●「俺の艦長2016」
数年前に、一迅社から発行した単行本『俺の艦長』と似た体裁で……というオーダーのもと、『宇宙戦艦ヤマト2199』、『ギャラクティカ』、『クラッシャージョウ』に登場する艦長たちの人生を語りました。
『俺の艦長』は、もともと『ギャラクティカ』のアダマ艦長について書きたくて提出した企画なので、この本で実現できて嬉しかったです。
他には、各艦船の説明と各作品の解説も担当していますが、『スタートレック』だけは難しいので、岸川靖さんにお願いしました。
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誕生月割引が使えるので、吉祥寺オデヲンで『バンクシー・ダズ・ニューヨーク』、吉祥寺プラザで『アーロと少年』、レンタルで『ゴーン・ガール』。それぞれ面白い映画だったが、『バンクシー・ダズ・ニューヨーク』について書こう。決して人前に姿を見せない謎のアーティスト、バンクシーがニューヨークの街角に作品を発表しつづけた、短い期間を追ったドキュメンタリー映画。
彼の作品は、無断で他人の敷地内に描かれたり、展示されるため、警察が撤去する。また、「所有権は俺にある」とお金にかえる住人たちがいる。
バンクシーが作品にこめた政治的スローガンは、きわめてシンプルなものだ。だが、犯行声明のようにネットで「ここに作品を描いたぞ」とヒントを残すことで、人々は現場で作品を見ようと右往左往する。
ところが、バンクシーが自分の作品を小さなフレームに入れて、街の露店で60ドルの値をつけて委託販売しても、買う人はわずかだ。つまり、法をおかしてゲリラ的に作品を残すのでないかぎり、人々は熱狂しない。彼の違法行為に、人々は価値を見出しているわけだ。
既存のルールの範囲内で作品を発表しているかぎり、それは「趣味」なのだ。揺るがないと信じられていた常識や道徳を踏みこえようとするとき、それは「芸術」と呼ばざるを得ないものとなる。
もう言われつくされていることかも知れないが、表現は秩序を保つための枠組みを踏破しようとする。表現は、犯罪性を内包している。法律という檻の中でおとなしく暮らしている我々を解放し、共犯者にしかねない。そのギリギリの分岐点を生じさせ、眠りこけた世の中を揺さぶることにこそ、「芸術」の価値があるのだろう。
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女子中学生誘拐事件にかんして、容疑者をかばうような発言がツイッターに散見されると聞いた。まったく知らなかったので検索して調べている途中、「廣田恵介は実在児童より、フィギュアが大事」といったツイートに行き当たった。
そのツイート主は、何も知らないようだが、僕はフィギュアともアニメとも関係ない、【実在児童への性暴力写真に関する請願】(■)を国会に提出した。審査未了(ようするに審議見送り)となったので、文部科学大臣の馳浩議員に送ったが、返事なし。「女性議員なら理解してくれるのではないか」と、福島みずほ議員に送ったが、これも無視。
とどめは、「女性のための豊かな人生の実現を応援する情報サイト」から取材を受けたとき。請願書の内容を説明したが、どういうわけか、取材記事そのものが載らなかった。
性暴力・性虐待にあった児童から相談を受けたり、一時的に保護したりするNPOの説明会・勉強会にも、何度か足を運んだ。寄付もした。性暴力被害者に取材したルポルタージュも、たくさん読んだ。
だけど、性暴力と「フィギュア」を切り離す署名を行っただけで、これまでの僕の活動は「無」にされ、「フィギュアだけが大事な男」とされる。前述した請願書がニュースになったときも、「廣田は児童をモチーフにした表現物を自分のブログに掲載、削除された過去がある」などと、事実無根のツイートが出回った。
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「お前、責任とれるのかよ」「責任とれよな」「無責任!」―‐小学生の学級会で、いちばん多く耳にしたのが、「責任」という言葉だった。僕らは、いまだに小学校の教室にいる。
堂々と手をあげて発言すれば、内容がなんであれ、こそこそと陰口をたたかれる。これでは、民意も世論もクソもない。もし、性犯罪にあった児童や女性が心配ならば、他でもない、あたな自身にできることを探すしかないんですよ。「発言しろ」「行動しろ」「なぜ発言しない」「なぜ行動しない」と、安全圏からスマホをいじくってる時間があったら。
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