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2016年3月14日 (月)

■0314■

【懐かしアニメ回顧録第16回】なぜ、「ゼーガペイン」は第6話からが面白いのか? ボイスオーバーによる異化効果()
アキバ総研に書いた、連載記事です。肩に力が入りすぎて、「なぜ面白いのか」説得力が出ませんでした。
「ボイスオーバー」と「異化効果」の使い方は、正確ではありません。だけど、あの演出を言語で表そうとしたら、候補にあがる用語のはずです。
最近、映像作品の評価が「泣けるか」「王道か」「見てスッキリするか」といった反射的な印象のみに陥っている気がします。「泣けるドラマだとしたら、どのような方法を用いて泣かせているのか」テキストで解析する試みを、今後も追求したいと考えています。

「運動が嫌い」と思っている人は実は「学校の体育教育が嫌い」なだけかも?共感の声が多数集まるTL(
この認識、もっと世間に広がってほしい。特に全国の体育教師たちには、自分が子供の人権を蹂躙できる立場にいることを、しっかり自覚してほしい。
僕は、人生のありとあらゆるマイナス面を、体育教師から教わったからね。小学校低学年のとき、はじめての水泳の授業に、家にあった黄色い海水パンツをはいていった。何も学校指定のものでなくとも良いはずなんだけど、体育教師に「おい、そこの黄色パンツ!」と、あざけるように呼ばれたことは忘れない(差別はいつでも、個人の名前を剥奪することから始まる)。
水泳キャップに、上達したことを示すための黒いラインを縫わせられるのも、屈辱だった。水泳のできる子は、たくさんラインを付けている。僕らは、一本か二本だけ。そのラインの数だけ見て、「お前らはこっちだ」と、教師がより分けるわけだ。僕らは、タグをつけられた家畜同然だった。水泳のできない子たちは狭いエリアに区分けされ、えんえんとバタ足の自習をさせられ、教師はできる子たちだけを直接指導する。

最悪なのは、同級生たちが「体育のできないヤツは、どれだけバカにしてもいい」という価値観を、教師から学んでしまうことだ。健全なはずの体育の授業から、陰湿なスクールカーストが形成されていく。


学校というのは、奴隷生産工場だった。いま苦しい子たちは、学校なんてサボっていい。中学になると、僕は水泳の授業はすべてサボった。水泳大会も、もちろん無断欠席した。体育教師に呼び出されて、「苦手なことから逃げてばかりでは、ダメな人間になるぞ」と説教されたが、僕は自分に正義があると分かっていたから、うわの空だった。
授業をサボったところで、明日から住む家がなくなるわけじゃない。体育の成績が「1」なのは歴然としているのだから、体育の時間こそ、自由を謳歌すべきなのだ。安心してサボっていい。

【自殺対策強化月間】サボローが『サボったらできること』を教えてくれたぞwww(
では、「本物の」内閣府の自殺対策強化月間ポスターがどれほどヒドイのかというと、基本的に「ひとりで悩んでないで、周囲に相談して」「あなたからの相談を待っている人がいます」という論調。いやだから、ひとりにさせてくれない、お前らの社会が怖いんだって。
孤独や逃避を尊重してくれるのが、「自由な社会」だろうに。

「サボってはいけない」「自分ひとりだけ、楽をしてはいけない」と追いこまれた人間ほど、他人に不寛容で、抑圧的になるような気がする。

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