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2016年3月 8日 (火)

■0308■

レンタルで、『酔いどれ天使』。たしか、大学の授業で見たような気がするが、今回のほうが印象は強烈だった。
Drunkenangesplsh志村喬演じる町医者のもとへ、結核をわずらったヤクザ(三船敏郎)が転がり込んでくる。2人は悪態をつき合いながらも、互いに愛着を増していく。
あいかわらず、シーンの展開もカッティングも、ソリッドに組み上げられている。小道具やセットを使った象徴的な演出が無数に散りばめられ、とても野心的だ。
僕は映画のラストシーンは、わりと重要とは思っていないのだが、この映画のラストシーンには泣かされた。三船は、結核の治らぬまま志村の医院を抜けだす。そして、兄貴分のヤクザのもとへ殴りこみをかけ、無駄死にしてしまう(その取っ組み合いの最中、白いペンキをこぼし、三船は真っ白な姿となって絶命する)。

一方、志村は三船の死を知らずに、市場で玉子を買う。三船に飲ませるためである。
影になった道を、志村が歩いてくる。道が暗いのと、志村のコートが黒いせいもあり、彼の両手に握られた玉子は、まぶしいほど白く輝いている。
その「白さ」が、白いペンキにまみれた三船の亡骸と、呼応して見えなくもない。うがちすぎかも知れないが、玉子に露出をあわせて「白さ」を強調しているのは、間違いない。


では、三船が生きていると思って玉子を買って帰ってきた志村は、どこで彼の死を知るのだろう? 次のシーンで、三船に惚れていた千石規子が、しょんぼり立っている。その傍らには、三船のお骨が置いてある。そこへ志村がやってきて、悪態をつく。「みんな、あのろくでなしのお陰さ!」「先生。仏の悪口はやめてよ」。
この短いやりとりで、すでに志村は三船の死を知っていて、そのために苛立っていることが分かる。状況説明は、千石の役目だ。志村は、ひたすら憤る役で、「あの野郎が、許せないんだよ」と険しい顔で唸る。

さて、言葉をなくした2人が、ドブ沼を前に、肩を落として座っている――と、「先生!」 元気な声がして、三船と同じように結核をわずらっていた女生徒が、遠くから制服姿で走ってくる。これを、ワンカットで撮っている。ワンカットの中に、無駄死にと、かがやかしい生とが同居している。

カットが切り替わり、志村は女生徒(久我美子)に「走っちゃいかん」と注意するのだが、女生徒は全快している。「はい、卒業証書」と笑いながら、レントゲン写真を志村に差し出す。
志村がレントゲン写真を見ている間、久我は千石に微笑みかける。が、千石は笑いかえす気力もなく、気まずそうに顔をそむける。ここは、アップの切り返しだ。この切り返しが端的で、美しい。
次のカットが、またすごい。志村はレントゲン写真を見ているので、背中を向けている。千石は冴えない顔で、こちらに顔を見せている――その手前には、三船の遺骨。何の事情も知らない久我は、千石のほうを怪訝そうに見ている。志村を中心に、生と死、過去と未来がワンカット内に配置されているのだ。


でねえ、このカットは長回しなの。その三人の構図のまま、久我は「全快したら、あんみつをおごってもらう」約束を、志村に果たさせようと、また笑顔になる。志村は振り返り、「お前も来ないか」と、千石を誘う。
千石がそれを断ると、「そうか。じゃあ、達者でな」と、志村はフレームから出ていく。久我は、複雑な笑顔で、千石に頭をさげ、志村のあとを追い、フレームから出ていく。フレームに一人残された千石。立ち尽くした彼女の姿を、カメラは5秒間も撮りつづける。その5秒は、残酷なまでに長い。

次のカット。あんみつ屋へ向かうため、志村と腕をくむ久我。しかし、まだ三船の死をひきずっている志村は「人間にいちばん必要な薬は、理性なんだよ」と怒鳴る。その言葉に、ちょっとだけ脅える久我。志村は気まずさをとりつくろうため、今度は自分で久我の手をとって、歌いながら歩きだす――と、人目を気にした久我が、「先生」と困ったように注意する。「はっはっは!」と快活に笑う志村。ここまで、ワンカット。必要でないかぎり、カットを割らない。

仲良く歩き出した2人は、人ごみの中へ消えていく。そのにぎやかな雑踏に、もはや死は感じられない。だが、誰もが死を抱えて生きている。いい映画は、ハッピーエンドともバッドエンドともつかない終わり方をするものだ。
この映画がつくられたのは、1948年だ。68年も昔の映画なのだ。はたして今から68年後の未来、誰もが自由に手にとって見られる映画は、何本残っているだろうか。

幸い、近所のTSUTAYAには、黒澤明コーナーがある。だが、DVDに収録された映像は、特に音質が悪くて、ところどころセリフが聞きとれない。日本語字幕がついているので、セリフを確認することができた。
その字幕だって、誰かが「字幕のあった方が、多くの人に見てもらえる」と判断して、わざわざ入れたはずだ。当事者以外の誰かが、確実にバトンを渡していかなければ、映画も文化も、どこかで途切れてしまう。

(C)1948 - Toho

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