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2016年3月 6日 (日)

■0306■

映画の地上波放送は滅多に見ないのだが、昨夜は『パシフィック・リム』をフジテレビで。
Final_four_jaegersownapieceofajaege2013年の公開時には試写会で見て、「オトナアニメ」に見開きでレビュー記事を書いた。「日本のロボットアニメがどれぐらい引用されているのか、そこに着目して書いてほしい」といったオーダーがあり、ジプシー・デンジャーのソードは『機甲界ガリアン』のジャラジャラ剣そっくりであるとか、今となっては、どうでもいい話を書いたと思う。

ギレルモ・デル・トロ監督といえば、『パンズ・ラビリンス』の印象があまりに強烈で、ヨーロッパを拠点に活動する、芸術家気質の監督だと勝手に思い込んでいた。『パンズ・ラビリンス』は、ピーター・ジャクソン監督の『乙女の祈り』のように甘美で暗鬱で、湿気に満ちた深い洞穴のような映画だった。

『パシフィック・リム』の公開時、ギレルモ監督は今の僕と同じ年齢だった。
昨夜の僕は、ここ数ヶ月で、もっとも沈み込んでいた。朝まで眠れず、気分はすぐれず、一日の予定は、何ひとつ進まなかった。

数日前、三石琴乃さんのナレーションによる、『パシフィック・リム』の地上波予告映像をネットで見ていたので、録画予約だけはしてあった。番組の冒頭で日本語版キャストが紹介されたとき、僕はテレビ画面に釘づけになった。杉田智和、林原めぐみ、玄田哲章、古谷徹、三ツ矢雄二、池田秀一、浪川大輔……そのときは、今回のテレビ放映のためだけに、ロボット・アニメ経験者を揃えたものと勘違いしていたのだが、勘違いしていて良かったと思う。
「お前が小さい頃から頑張ってきたベテラン声優たちが集まってるのは、お前みたいなヤツにカツを入れるためだろ! 元気を出せ、ロボットも怪獣も大好きだったろ? 思い出せよ! 思い出させてやるよ!」 両肩をつかまれたような気分だった。


「自然の猛威と戦うことはできない。ハリケーンが向かって来たら、逃げなければならない。だが、イェーガーに乗っているときはハリケーンと戦うこともできるし、勝つこともできる」――杉田智和さんの、自信に満ちたナレーションを聞いただけで、十分だった。二時間半の間、僕はずっと涙ぐんでいた。

映画には、役割がある。見た人を元気づけるから、社会に必要なんだ。声優という仕事も、人に憩いや勇気を与える。勇気をもらった人は、社会に還元しなければならない。この世界は、助け合いで成り立っているからだ。
文化や芸術は、言葉や国家をこえて、人と人を結びつける。たとえ作品を忘れたとしても、作品に助けられたことを忘れてはならない。自分を許したように、他人を許さなくてはならない。

今日になって、この日本語吹き替えキャストが劇場公開時に組まれたこと、演出が打越領一さん()であったことを知る。

(C)2012 WARNER BROS.ENTERTAINMENT INC.AND LEGENDARY PICTURES FUNDING,LCC

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コメント

はじめまして、廣田さま。いつもはROM専なんですが、なんとなく書き込みたくなりました。

高校生の頃、深夜のラジオ番組を聞くのが楽しみでした。好きなバンドのボーカルが一時間だかダラダラとしょうもないことを呟いてるのを、必死になって聞いて、知ろう、絶対にそっち側に行ってやるんだ、としていた10代のあの熱量が懐かしいです。
「幼児体型型子猫」だとか「コカイン花畑」だとか、よくそんなペンネーム思いつくなと感じていたハガキ職人化したリスナーもまた、別の意味で憧れておりました。
一定の質を維持しなければならないプロとは違う、素人だからこそできる高角度の奇抜なアプローチ、計算しすぎないからこそ歪なものと歪なものが同時に存在することが可能となっているアイディアとか、悔しくもあり羨ましくもあって。

この記事を読みながらふと、『グッドモーニング、アメリカ』を思い出しました。映画に詳しい廣田さまならご存知でしょう。

これからも、ご活躍応援しております。

投稿: 足踏み | 2016年3月 7日 (月) 09時44分

■足踏み様
はじめまして。コメント、大変ありがとうございます。

このブログは、数年前は一日に400アクセス平均でしたが、今は半分以下です。更新して確実に読んでくださる方は、100名前後のようです。
もう、とっくにピークは過ぎているので、さみしくもあり、書きやすくもあり……ひっそりとした隠れ家のつもりだったのに、新しく仕事で組んだ方から「ブログ、読みましたよ」と言われて、冷や汗をかくこともあります。

>10代のあの熱量が懐かしいです。

僕は、むしろ20代のころに「自分は、こんなちっぽけな存在ではないはずだ」と焦っていましたが、そのころの自分なら、肯定できます。最近、肯定できるようになりました。
20代の僕は、アルバイトを渡り歩くだけで何者でもなかったけど、一日に生み出すテキスト量は今の百倍ぐらいあったし、映画は一日に6本見ていました。「何者でもない」ことは、そう悪いことではないのかも知れません。
若くして「何か創造的なことをしよう」と焦っている人は、意地をはろうが、ウソをつこうが、例外なく美しいような気がします。

投稿: 廣田恵介 | 2016年3月 7日 (月) 19時46分

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