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2016年2月14日 (日)

■0214■

【懐かしアニメ回顧録第16回】プレスコ方式によって生じる音楽性 パターンにとらわれない「紅」の演技の振れ幅
アニメの声優さんの演技は「音楽的」に様式化されている。だが、その様式を「音楽」によって崩す……ということが、『紅』のミュージカル・シーンでは試みられていたと思います。


レンタルで、『猿の惑星:新世紀』。『猿の惑星』プリクエルの二番目。だが、前作を見ていなくても十分に理解可能な内容になっており、娯楽映画の良心を感じた。
201409180010000view何しろ、前作『猿の惑星:創世記』から続いて登場する人間のキャストは、ひとりもいない。冒頭10分間は、森の中につくられた猿たちの村落しか出てこない。彼らは狩猟をおぼえ、手話と簡単な英語で会話をかわす。まずは、人間に知性を与えられた猿たちの質素な生活が美しい。

では、人類はどうなってしまったのか。猿の媒介する病原菌で、半分が死滅し、自主的につくった隔離ゾーンにグループをつくって暮らしている。サンフランシスコの町は、雑草に覆われている。その退廃的なビジュアルも、また甘美だ。この映画は、新たな文明を築きつつある猿たちと、絶滅に瀕した人類の黄昏、ほんの短い共栄の時代を描こうとする。

くりかえすが、人間サイドのキャストは一新されている。猿のリーダー、シーザーと信頼関係を結び、戦争を避けようと努力する男と彼の家族が登場するにはするが、映画の3分の2ほどは猿たちのドラマなのだ。前作『猿の惑星:創世記』とは、まったくコンセプトが違う。連作にもかかわらず、単独の映画として完結する。
そこにまず、感心させられた。このような映画ジャンルをどう呼べばいいのか分からないが、「三部作すべてを見ないと、分からない」不親切さとは対極にある。
最新の『スター・ウォーズ』もそうだが、「さあ、今回はここまで。続きを知りたければ、また金を落としてくれ」という作り方には、誠意をかんじない。この一本しか見られない、たまたまこの一本を手にしてくれた一見の観客を十分に満足させようという心意気が、いまのハリウッド映画には欠けている。「三部作なのだから、第一作はぶつ切りでいい」という粗暴さは、観客と映画との出会いの機会をせばめる。はじめての客に「次回もよろしく」とポイントカードを押しつけるようなもので、作品選択の自由、偶然の出会いを奪う。
さらに言うなら、観客側も「前作を見ていない自分が悪いのだ」と、寛容さを失っていく。


『猿の惑星:新世紀』は、シーザーに反抗して銃を手にするコバという猿に、スポットを当てる。
コバが人間たちに見つかり、その場をとりつくろうシーンが素晴らしかった。本当は言葉を話せるぐらい利口なのに、まるで動物園にいる猿のように、人間たちが油断するようにバカのフリをするのだ。
人間と猿との、悲しいほどの距離、すれ違いを、CGでつくられた猿の演技だけで見せきる。一言もセリフがないのに、コバがどれだけ屈辱的な思いをしているか、どれほど人間たちを侮蔑しているか、手にとるように伝わってくる。

このシーンが美しいのは、ゼロからつくられた要素がひとつもなく、すべて我々の経験のみで成立しているからだ。僕らは、猿といえば動物園の檻にとじこめられた、滑稽な生き物を想起する。その僕たちの傲慢さ、浅はかさを利用したシーンだ。
Dawnapes3_2このテーマ、このコンセプト、映画という媒体でしか為しえない、一度かぎりの表現だ。コバはシーザーとの闘争に敗れるが、ストーリーの結末など、文字でも伝わる。「人間がモーションキャプチャで演じるCGの猿」、その屈折した構造すら逆手にとった、知性あふれるシーンだった。


『スター・ウォーズはいかにして宇宙を征服したのか』の、第一作シナリオ執筆のパートを読み返している。
まだ「ホイルス銀河史」がメインタイトルで、「第一部。これはオフューチの偉大なジェダイ=ベンドゥ、メイス・ウィンディの物語。語り手はC・J・ソープ。パダワンとして、銀河に名を轟かせるジェダイの修行をしている」などと書かれていた頃の、煮え立ったシチューのような状態だったころから、ジョージ・ルーカスは、その銀河や惑星がどんな政治体制なのか、思いをめぐらせていた。

当時は、まだベトナム戦争が続いていたので、北ベトナムをモデルにした惑星も出てくる。シナリオの資料として、同時に、人類学の巨編『金枝篇』も参考にしていた。
だから、『スター・ウォーズ』は高級なのだ……と言いたいわけではなく、公開中の最新作で政治体制がまったく考えられていないのに、それを気にする人が少なすぎて、さみしい思いをしている。
友人向けの試写会の段階で、第一作目のオープニング・ロールには「帝国は、次の戦いに敗れれば、一〇〇〇以上の太陽系が反乱同盟軍に寝返り、銀河の支配が永遠に転覆させられることを恐れていた」と書かれていた。レイア姫は、元老院議員だったから反乱軍を有利に導けたのに、最新作では意味不明の「将軍」という肩書きしか、与えられていない。
こんな無神経な映画を擁護するため、「スター・ウォーズは昔からご都合主義の娯楽映画にすぎなかった」「娯楽映画に理屈など求めてはいけない」などと言い出す人がいるのだから、ルーカスもナメられたものだ。
そもそも、優れた娯楽映画には「楽しい」と感じさせる理屈が、しっかりと機能している。だが、テクニカルな話はことごとく忌避されるので、映画文化は堕落しつつあるのかも知れない。

(C)2014 Twentieth Century Fox

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