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明日まで神田で開催されているミニ展覧会「RWBY OFFICIAL JAPANESE FAN MEETING」(■)、金曜日に行ってきた。平日昼すぎ、路地裏のギャラリー内には男女ふくめて、6~7人ぐらいのお客さん。デザイナーっぽい、お洒落な服装の男性もいる。
ファンブックに収録されている、日本のプロ作家たちのイラストレーションが半分以上を占めるが、本で見るよりずっと良かった。
ただ、何よりも引き込まれたのは、ファンブックには未掲載のアニメ制作用のラフスケッチ、背景画などの資料を壁2面に貼ったスペース。アイデア段階のメモ書きなども読みとれる。『RWBY』のファン像が、僕にはいまひとつ掴めないのだが、こうした資料集は望まれていないのだろうか……。
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こんなにも『RWBY』が魅力的なのは、一見したところ――いや、僕のように“毎晩欠かさずブルーレイを再生している”者から見ても、「未完成」だからだろう。
CGモデリングは、ローポリ丸出しだ。入念に描きこまれたテクスチャにも、やや粗が目立つ。人形劇にたとえるなら、肝心の人形の出来がいまひとつなのだ。
しかし、だからこそアクションと芝居を工夫し、キャラクターの造形の悪さをカバーしようと奮闘している。そこが愛らしい。
主役4人の少女を4色に分けるのも、日本の女児向けアニメで使い古されたフォーマットで、新鮮なアイデアとは言えない。性格の描きわけも、赤=お茶目で誠実、白=冷たく上品、黒=ミステリアス、黄色=パワフルで社交的……と、ありふれている。
その分、なぜ冷淡なのか、なぜ周囲に秘密を持っているのか、シナリオを丁寧に彫りこんでいる。結果、キャラクターたちは類型化をまぬがれ、作品はドラマを獲得した。
いわば、欠点だらけの企画を、真正面から生真面目に具現化する、その誠実さに、僕は心打たれる。惚れこんでいる。
もし、まだ『RWBY』を見ていないなら、レンタル店にもあるので、手にとってみてほしい。
日本語版独特の魅力もあるのだが、それは別の機会に触れたい。
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CNN「年間6400人以上の子どもが性犯罪被害」は本当か?(■)
この話題も、すでに三周ほどした感がある。上記記事の結びの言葉、「日本は海外からの情報や発言に弱いが、闇雲に信じるのではなくきちんと内容を確認するよう心掛けたい」。
なぜ、こんなにも海外は統計を意図的に使い分け、日本を性犯罪大国にしたがるのか? そして、なぜ日本は海外(というか欧米)の顔色をうかがって、びくびくしているのか?
戦争に負けた国は、こういう目にあわされるんだと、僕は思ってます。小~中学生の間、僕が教師から最も多く聞かされた言葉は「反省」です。
中学校の思い出として、まっさきに脳裏に浮かぶのは、教室中の机をかたずけてスペースを作り、クラス全員が正座させられている光景です。「お前たちも辛いだろうが、先生も辛い」という、担任教師の言葉です。
どんな効果があるのか考えず、みんなで「反省」し、ひとりの例外もなく「辛い」思いをする……そのいびつな戦後教育が、社会人の「寝てない」「調子わるい」「忙しい」自慢に結実したんだと思います。
「その話が性犯罪と、どう関係あるんだ?」と疑問をもたれるでしょうけど、性犯罪が表面化しづらい裏には「辛いけど我慢すべき」という暗黙の強制が、作用しているように思います。
「誰ひとり、楽をしてはいけない」「辛いときに辛いと言ってはいけない」社会で、いったい何がどう改善されると言うのでしょう? 「被害者もツライだろうけど、私たちもツライ」というマゾヒスティックな連帯感が、誰を救うというのでしょう?
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図書館で借りてきた塩田明彦の『映画術』を読んでいる。
国内外の映画のワンシーンずつを実際に検証しながら、「何がどう面白いのか」具体的に腑分けしていく。
「映画館で泣けたから、優れた映画」「退屈したから、価値のない映画」など感情的な評価のまかり通る日本では、ひょっとすると、シーン単位の分析など邪道あつかいされかねないのが、恐ろしいところ。
楽しいことにも悲しいことにも、裏側に駆動しているメカニズムがある。泣くとすれば、そのメカニズムを自力で解明できない――理不尽に行き当たったときだろう。理不尽にぶつかるまでは、理由を調べ、考えなくてはならないのだ。■
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