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大晦日の夜に、レンタルで借りた『わが母の記』を見る。高嶋政宏さんにインタビューしたとき、『ガンヘッド』の原田眞人監督作ということで、話題にのぼった作品。原田監督が脚本も書いているので、まず、セリフのセンスがいい。「あいつは、僕を捨てたんだよ」といじける役所広司。娘の宮崎あおいが「お父さんは、本当に捨てられるのが好きね」と嫌味を返すと、「ああ、大好きだよ」と苦笑する。
登場人物が、互いに批判しあったり分析しあったりする。だけど、理屈っぽくなるのではなく、会話にユーモアが加わっていく。
それと、カッティングがいい。樹木希林の演じる老いた母親の暮らす伊豆の山奥に、車が走る。それを見た手伝いの娘が、急いで家に戻るため、石の階段を駆けのぼる。そのとき、くしゃみをするんだよね。くしゃみをする瞬間、カットを割っている。そうすると、急いでいる感じが出る。
くしゃみをする必然性なんて皆無なんだけど、おそらくカットを割るために、あえて芝居を入れている。
もうひとつ、ラスト近く。母が病院に運ばれたと聞いた役所広司が、かばんに荷物をつめて、出かける支度をする。その姿を、数メートルだけ離した二台のカメラで、同じサイズで撮っている。同じサイズで撮った絵をつないだら、カクッとなって、スムースにつながらない。
だけど、わざとカクッと不自然になるよう、つながらないように編集している。すると、緊迫した、異様なムードが出る。これから嫌なことが起きるわけだから、わざとテンポを崩しているのだ。編集は、原田監督の息子・原田遊人である。
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原田監督は、ビデオオリジナルの『タフ』シリーズで、あきらかに変貌した。『ガンヘッド』を見た誰かが、原田監督に依頼したのだろう。今さらながら、それが誰だったのか知りたくなった。
『わが母の記』で、もうひとつ。役所広司と、三女の宮崎あおいの視点がメインで、映画は1959年から1973年までを舞台にしている。初登場時の宮崎は中学生なのだが、子役を使わず、宮崎自身が演じている。ひとりで、14年間の変化を演じている。
三人の娘と妻、さらに秘書まで女性なのだから、その華やかな家庭の雰囲気を心地よく、頼もしく感じた。
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はからずも、母の命日の前夜に、母との思い出をモチーフにした映画を見た。
母方の祖父の家は、立派な木造家屋で、中学時代、一年ほど住まわせてもらったこともある。小さな窓から近所の瓦屋根が見えて、その写真のように切りとられた静謐な景色を、今でもよく覚えている。
正月には、親戚みんなが集まって、福引をやったりした。景品は、子ども向けと大人向けとに分けられていて、いずれもビックリするほど高額な品ばかり揃えられていた。
祖父は写真と水彩画が趣味で、僕が日芸に合格したとき、Canon New F-1に望遠レンズをつけて贈ってくれた。祖母も優しい人で、僕が遊びに行くと喜んでくれた。ただ、家庭というものにプラスのイメージを持てたのは、そのころが最後だったように思う。
母が亡くなった翌年だったか、母の妹さんから「子どもたちがお正月に遊びに来るけど、あなたも来ない?」と誘われた。従兄弟たちが結婚して子どももいるというのに、僕だけが離婚しているので、決まりが悪く、辞退した。母の弟さんとは、いまでも、たまに連絡をとりあう。
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年末は、どこも人でごった返していた。気になったのは、スーパーやコンビニで、男性が順番を守れないこと。特に、フォーク並びを無視する高齢男性が多い。並んでいても、イライラしている。
ああいう余裕のない男たちを見ると、いやでも父親を思い出してしまう。
何か事件が起きると、ついでに誰かの悪口を言う。「ああいう人は」と普通に言えばすむところ、「ああいう田舎者は」「ああいう生意気な若造は」と、何か一言、嫌味をつけ加えるんだよな。対立や波乱を好むというか、敵を増やしたがる。
「マスコミ」と書けば通じるのに、必ず「マスゴミ」と書いてしまう人、要注意だと思う。思考の幅がせばまり、余裕がなくなっていくよ。
(C)2012「わが母の記」製作委員会
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