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アニメイトさんへの取材と同様、作品とファンをつなぐクッションのような役割をしている人たちに興味があるんですけど、読者は、もっと作品の内側に入りこんだ記事を読みたいのかも知れません。それだと先鋭化して、横へ広がっていかないのではないか……という危惧は、常にあるんですけど。次回は、アニメ監督さんへの取材です。
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「ガルパン、キャラの見分けがつかない」問題 映画監督・金子修介さんのツイートにさまざまな反応(■)
たまに見かける、残念なネットの光景。とにかく、同質性を求めたがる。個人攻撃によって仲間を得よう、自分は多数派だと思いたがる。
僕がこの件を知ったときには、金子さんを擁護する声が多数あがっていたけど、中には「金子修介って誰?」と、よく分からないまま叩いている人もいた。自分から調べよう、歩みよろうって姿勢が、根づいてない。金子さんを、なぜか「サヨク」と呼んでいる人もいたし……。
表現規制反対のムーブメントでも、ちょっとでも反対意見が出てきたら、「誰こいつ?」から始まって、「また○○の一派か」と手近なカテゴリーに分別して、手っとり早く嘲笑しはじめる。自分から譲歩しようとか、相手と同じ地平に立って対等に話そうとかは考えないんだよね。
結果、「気持ち悪い連中にからまれた」「オタクたちにバッシングされた」という口実を、相手に与えてしまう。
オタクであることって、自分の怠惰さとか、性根の悪さを克服する戦いなんじゃないかと思っていたけど……防衛本能から生じる過剰な攻撃性が、人を「オタク」という人格パターンに落とし込んでしまうのかも知れない。アニメが好きとか、趣味・嗜好は二の次であって、まずは人格なんだろうな。
(人格は先天的に決まっているものではなく、努力次第で改善できるはず。それをあきらめたら、底なし沼にはまる。)
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昨夜は、20年ぶりに再会した学生時代の知り合いと、渋谷で飲んだ。
20代の僕は、つねに焦っていて、他人への気配りに欠け、彼に対しても横暴にふるまっていた。今は利害関係もないし、彼には家族があるし、適度な距離感ができていたように思う。
最後に、新作『スター・ウォーズ』と、ディズニーが半永久的にシリーズを継続していく話になった。『スター・ウォーズ』について、彼と話すのは初めてかも知れない。
彼が言うには、「一度、『スター・ウォーズ』というコンテンツを終わらせて、リニューアルするには、今回のような作り方しかなかったのではないか」。作品として斬新なものにしたら、すぐ息切れしてしまう。それは、僕も同意見。
その反面、細部は荒っぽく、おかしなシーンの連続だった……というのも、同意見。
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ハードも重要だけど、ソフト面は、今後も簡略化されていくのだろう。今では、山のように作られたスピンオフ小説や続編コミックさえ、愛らしく思えてくる。映像作品がとぎれ、フィギュアや紙媒体、あとはせいぜいゲームで命脈を保っていたころの、『スター・ウォーズ』“冬の時代”。当時はバカにしていたけど、今後、ディズニーが量産する無数のエピソード群よりは、原典に近い場所にあるはず。
僕は、1978年に出版された『スター・ウォーズ』のノベライズを本棚から引っ張りだし、枕元に置いた。プロローグには「ホイルス星系誌」と書かれている。それは、1973年にジョージ・ルーカスが考えた『スター・ウォーズ』の仮タイトルなのだ。そんなディテールのひとつひとつが、僕の胸をしめつける。
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