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2016年1月16日 (土)

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レンタルで、『クレイジー・ドライブ』。「アクション」「コメディ」とジャンル分けされていたが、どちらともつかない、不思議な映画。
Stretch_62967_25545パトリック・ウィルソン演じる、ストレッチという男が、黒いリムジンに乗って、時間までに金を届けようと必死になっている。だが、さまざまな客から、つぎつぎと奇妙な依頼をうけ、どんどん時間がなくなっていく……その一晩を描いた、シンプルな映画だ。

ストレッチの前任者は、カールという優秀な男だった。カールは、なぜか拳銃自殺してしまったのだが、ストレッチがネガティブな思考に陥ると、別人格のように彼の背後にあらわれ、「酒はどうだ?」「コカインもいいぞ」と陰気にささやき、挙句は自殺を薦めさえする。
一方で、ストレッチはピンク色の車をたびたび見かけ、それを吉兆だと思い込んでいる。ピンクの車のナンバープレートには、「運命」という文字が書かれている(ように、ストレッチには見える)。
どこか神経症的で、知的なムードに彩られた映画。「お前という人間は自立支援型か、それとも環境配慮型か?」といったセリフが、一種のギャグとして使われる。その意図や暗喩は、分からない。むしろ、「分からない」からこそ、ギャグとして機能しているのだ。


大学生のころ、夜中にリュック・ベッソンの『サブウェイ』を見た。途中から見たので、物語などは分からない。女優の美しさ、突拍子もないセリフ、ひとつひとつのシチュエーションが面白く、翌日、興奮して、友だちに話した。「その映画のタイトルは、『サブウェイ』だろうな」と指摘され、レンタル・ビデオ店で借りて、最初から見直した。

すると、意外と面白くない。「どんな物語なのか」順番を追っていくと、とたんにシーンの意味や意図が気になりはじめる。あれだけ弾けていた、ファッションやセリフや音楽が、急に色あせて見えた。
――どうも、僕の頭は、首尾一貫したものを求めていない。「途中から始まり、途中で終わる」、あるいは「長い物語の、ほんの一部だけを目撃する」。自分には、とても全容を把握できない……そんな状態が、僕は好きだ。世界と自分とは、そういう関係でありたい。「すべては知らないけど、その良さは分かっている」。そんな状態が、好ましい。
僕の、そんな嗜癖に、たまたま映画という形式が答えてくれているに過ぎない。

大学の講義で習ったのは、「脚本が出来上がったら、ラストシーンを削除する」。すると、ハッピーエンドともバッドエンドともつかない、余韻のある終わり方になるという。たまに、見た映画のラストシーンを「なかったこと」にして、そのちょっと前で終わるよう、頭の中で編集してみる。すると、ジワリと味わいが増す。


“ネットで身元隠して他人を叩いてる人は、実は「個」のつもりじゃないのかもしれない。「みんなの代表」ぐらいの気持ちなのかもしれない。”(

なるほど。確かに、匿名で個人叩きする人は、「みんなが思っていることを、俺が代表して言ってやったぞ!」「俺だけでなく、みんなで怒ろうぜ!」と呼びかけているかに見える。賛意を求めたがる。
自分の悪意や憎悪を、多数派の意見にすり替えたがるのは、ネットに限らないような気がする。「出る杭は打たれる」教育をされてきたから、誰もが多数派に属したがる。見せかけの連帯感によって、日本社会は秩序を維持している。

本当に自分にとって必要なことを為すためには、孤独に耐える勇気が必要。孤独になるのは、心から信頼できる協力者を得るのに、必須のプロセスだ。「孤独」って、ひとりで自分に都合のいい思いに耽ることではなくて、人に会っては失望し、信じたそばから裏切られる、切磋琢磨のプロセスだからね。悲しいかな、信念を貫くには、タフであらねばならんのだ。


Art of the Filmの“The Sound of the Star Wars Saga”。音楽もセリフもなく、効果音のみで構成された『スター・ウォーズ』の世界。

エピソード1~3をおろそかにしない編集に、好感がもてる。

(C) 2014 Universal Pictures. All Rights Reserved.

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