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【懐かしアニメ回顧録第14回】90年代末の混迷期を堪能せよ! デジタル化されていくアニメ界で“真実”を追い求めた「ガサラキ」!(■)
この連載タイトルの“懐かし”は、外してしまいたいんだけど、“10年以上前の過去作を再評価する”程度の意味に受けとってください。
いつも言っているように、「泣いた」「感動した」のは、映像を駆動させるメカニックのおかげです。どのようなメカニズムが感情に作用しているのか、構造を腑分けして解析せねば、僕たちはますます怠惰になっていく。思考を放棄した結果、「理屈じゃない」「良いものは良いんだ」と、逃げ口上を並べるようになってしまうのです。
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昨日は、スーパーフェスティバル70に参加しました。コピー同人誌[Fig50's]は、用意した部数の三分の二ほど売れてくれました。「50歳すぎてるけど、フィギュアを作りはじめた」「50代になる前から、現在も、ずっと趣味で作っている」という方たちと、新鮮な話をすることが出来ました。
僕のフィギュアを見て、「もし売るとしたら、いくらにしますか?」と聞いてきた人がいました。「労働力を考えると、30~50万ぐらい?」「そんなに安いんですか?」「だったら、100万円で」「いや、100万でも安すぎる!」と、彼は言いました。それは、僕のフィギュアに価値があると言いたいのではなく、「作る」行為を、どう金銭的価値に置き換えるか?という問答でした。
僕のフィギュアが受けることより、幅広い世代の人たちが、多様性のある作品をつくり、「フィギュア」の定義や価値が、豊かに広がってくれればいいと思っています。
十年前、富野由悠季さんに、フィギュアをテーマに取材しました(こちらに、当時のインタビューを書きこしていただいています。⇒■)。あのとき、富野さんに言われたことに、そろそろ答えを出すべき時なのでしょう。
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帰宅してから、録画してあったNHKドキュメンタリー『庵野さんと僕らの向こう見ずな挑戦 日本アニメ(ーター)見本市』。昨年11月の番組。
30歳前後の、若いアニメーターやアニメ監督たちの姿と、昨日のスーパーフェスティバルで再会したデザイナー氏と共闘した20数年前の自分の姿が、ちょっとだけダブって見えた。彼が映画用のスケッチを描いて見せてくれたり、僕が映像企画のロゴやデザインを彼に頼むことが多々あった。名前は出さないが、フィギュア作家として成功した方もブースに見えられて、やはり、僕がアニメ企画を手伝っていた20代後半ごろの話題が出てきた。
僕からすれば、アイデアも情熱も中途半端なくせに、「クリエイターになりたい」「なるべきだ」ともがいていた砂漠のような記憶なので、思い出として美化することはできない。
やがて僕は、自分から企画を出すのではなく、「○○社に企画を持って行きたい」という人たちをアニメ会社に紹介するようになった。彼らの夢に手を貸すほうが、カラカラに枯渇した自分の心の底を掘りかえすより、よほど充実感があった。
クリエイターたちに取材して、彼らの努力や知恵を読者に伝える仕事は、いわばクッションのように僕の無駄なあがきを受けとめ、空虚な情熱を、きれいに消し去ってくれた。
この十数年の間、最前線で絵を描いている人たちへのリスペクトが、僕の仕事を支えつづけた。彼らの澄み渡った、青い真空のような向上心。嘘をつくことはできない、と思った。
番組の中で、川上量生さんが庵野秀明監督のことを「殉教者の目をしている」と語ったが、まさしく。魂を削っている人たちに、嘘はつけない。
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アイルランドの観光マーケティング会社“Tourism Ireland”が、『スター・ウォーズ/フォースの覚醒』のロケ現場を広報しはじめた(■)。
聖地巡礼ビジネスのために、異世界感のないロケーションばかりになったのだろうか?
過去のシリーズでは、どの惑星も異なる世界観をもっていて、命にあふれていた。だからこそ、「惑星を丸ごと吹き飛ばす破壊兵器」が悪の象徴として描かれたはず。今回の新作では、なんと味方側が敵基地となった惑星を粉々に粉砕してしまう……。
もちろん、そうした無神経さとアイルランドの美しさは、まったく関係がない。この映画をめぐって何が起きたのか、これから何が起きるのか。その興味は作品への感情とは、まるで別のものだ。
“知的な人は異なる意見を尊重するが、そうでない人は異なる意見を「自分への攻撃」とみなす”(■)
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