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Febri Vol.32 10日発売予定●Febri Art Style 『おそ松さん』 美術監督/田村せいきインタビュー
以前からずっと、ギャグアニメの背景を取材したいと思っていたので、今回は『おそ松さん』です。美監は、田村せいきさんで、とても面白い言語センスをもった方なので、ほぼそのまま、掲載させていただきました。
そもそも、「ギャグアニメの背景」がテクニカルだと気づかされたのは、初代『てーきゅう』で、板垣伸監督にインタビューしたとき。「ああいう省略された背景は最近、少ないでしょう?」とおっしゃっていたのが、キッカケです。
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本日は、予定されていた取材が流れたので、手元にある試写状の中から、リドリー・スコット監督の『オデッセイ』を選び、六本木まで足を運んだ。上映25分ほど前につくと、建物の前に行列ができている。列の後ろから、宣伝会社の人がひとりひとりに名刺を渡しながら、「満席で、ご入場できません」と頭をさげている。
『ファンタスティック・フォー』のときは、同じ会場でも、余裕あったんだけど、満席ならば仕方がない。
そのとき、名刺交換しながら、ちょっと妙なことを聞かれた。
「ウェブ媒体に書かれている方ですか?」
「いえ、ウェブでは、アニメばかりです」
「では、紙媒体ですか?」
「紙でも、アニメばかりです。そもそも、実写映画の記事なんて、ほとんど書いたことがありません」
「では、この試写状は、どこから……? ウチとは、どういったご縁で?」
そりゃあ、あなた方の会社が、どこかで僕の住所を知って、送ってきたんじゃないですか(笑)。ブログに好意的感想は書いているので、今後も、送ってきてほしいんですけど。
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実写映画の記事といえば、10年前の『スター・ウォーズ/シスの復讐』のときは、紙媒体にレビューからインタビューから年表から、いやというほど書いた。最近は、『パシフィック・リム』のレビュー、『カイト/KITE』で梅津泰臣さんにインタビューしたのと、EX大衆でマーベル映画について特集したときぐらい。
マーベル映画特集のときは、編集者の負担を軽減するため、僕が画像素材を用意した。20世紀フォックスとディズニーに何度か電話して、すべての素材を揃えることができた。先方は、「(C)を忘れずに入れてください」「完成した雑誌を、二部ほど送ってください」だけで、後は何のオーダーもない。原稿チェックなんて、そもそもしない。
前のブログで、「深夜アニメ発の映画だけ、別枠扱いになってないか」と書いたけど、アニメの場合、必ず原稿チェックが入る。会社にもよるが、「ここからここまでカット」「こういう言い方はナシで」と赤を入れられ、あげく、担当者が無断で原稿を書き直して、知らないうちに「文:廣田恵介」として、雑誌に載ってしまったことすらあった。
その検閲体制を改めないかぎり、アニメ映画が、一般の映画と同じまな板で論じてもらえることはないと思っている。
(念のために言っておくと、最近は原稿をチェックすることはするが、まったく直されない場合が増えてきた。)
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『オデッセイ』の試写が見られなかったので、青山ブックセンターで、『エンピツ戦記‐誰も知らなかったスタジオジブリ』を、ようやく手に入れて、帰途についた。
「ようやく」というのは、とにかく本屋で見つからない。売ってないのではなく、見つからない。アニメ本のコーナーにもない、サブカル本のコーナーにもない、エッセイの棚にもルポの棚にもない。スマホでAmazonの画面を見せて、「この本を探しています」と店員さんに言うと、パソコンで検索して、すぐ持ってきてくれた。
三鷹市内の図書館には、検索用の端末が数台あって、本がないなら「ない」と分かる。ないなら、他の図書館から取り寄せることさえできる。
本屋に、検索用の端末を置けばいいと思うんだけど、僕は見かけたことがない。本当は在庫があるのに、「見つからないな、売ってないのか」と帰ってしまう客が、どれくらいいるだろうか。
どの本屋にも、『スター・ウォーズ』関連の本だけは、あふれるほど置いてあった。
そういえば、今回の『スター・ウォーズ』は、ルーカス・フィルムが記事をチェックしている。「全文英訳しろ」という体制は評判が悪く、最近は改善されつつあると聞く。
画像を使っていない独自研究本なら、河原一久さんの『スター・ウォーズ論』。これ一冊で十分すぎるほど。映画史ばかりか、神話や哲学まで動員して、俗説を覆していく手つきは鮮やか。もちろん、マーケティング的な分析もあり、『スター・ウォーズ』が単なる映画というよりは、「映画を切り口にした文化」なのだと分かる。
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