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ホビー業界インサイド第6回:プラモデルという商材の面白さにこだわる! マックスファクトリーの提案するPLAMAXの魅力とは?(■)最初から決めていたとおり、連載半年目の第6回は「プラモデル」を取材対象にしました。
「プラモデルという商品が好きだから、プラモデル・メーカーしか取材しない」のではなく、食玩やデジタル造形教室など、立体物を作る・集める“ゆるい”趣味の一環としてプラモデルを扱いたかったし、今後も、そうしていくと思います。
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あちこちから、『スター・ウォーズ』の評判が聞こえてくるなか、『エピソード1/ファントム・メナス』を見た。見たまま寝てしまうだろうと思ったら、最後まで見れてしまった。
ルーカスは『ファントム・メナス』が失敗することを覚悟して、これ一本で完結する物語にした。また、過去三作を見ていなくとも、敵味方の分かる構成になっている。
EP1~3を僕が憎めないのは、ルーカスが自分の作品を好きすぎる、愛情過多な部分が
伝わってくるからだろうな。『エピソード2/クローンの攻撃』のコメンタリ―を見直すと、地表を埋め尽くすドロイド軍との戦闘シーンで「これこそが、最初の『スター・ウォーズ』のイメージだった。予算も技術もなかったから、デス・スターやスノー・ウォーカーで我慢するしかなかった」と、感慨深そうに語っている。
一方で、スタッフは「子供たちが見るのだから、暴力描写はほどほどにするよう、ルーカスに注意された」と苦笑している。
「ここは30年代の『フラッシュ・ゴードン』、ここはハリーハウゼンの特撮映画を参考にした」「このシーンには、映画の歴史が詰まってるんだよ」と、趣味性豊かなところもいい。幸せそうなんだよな、EP1~3のスタッフって。
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先日、友だちに『RWBY』の説明をしていて、気がついた。
僕らはよく、「ストーリーがいい」「テーマがいい」って言うけど、それはオマケなんだよね。映画ってメカニックだから、適切な絵が、適切な位置に、適切な長さで入っていることが骨格であって、口当たりをよくする砂糖やミルクとして、登場人物がいる。たまに、人物が無味無臭のフリカケと化していて、骨格だけ見せる映画もある。『メメント』なんかは、登場人物の好悪を問題にせず、メカニズムだけで見せるタイプの映画だろう。ロベール・ブレッソンの『スリ』や『抵抗』を見れば、彼が映画に入り込んだ演劇性をいかに嫌っているか、よく分かる。
ストーリーの起伏が面白いとしても、それを気持ちよく見せているのはカットワークだし、俳優が魅力的な芝居をしても、彼らとて編集には逆らえない(そこが、舞台に上がっているかぎり、体ひとつで勝負できる演劇とは、明確に違うところだ)。
ところが、演出がガタガタであっても、俳優ひとりが作品を救うことがある。そういう矛盾や倒立が面白いんだ。
で、まあ「この映画は面白い、気に入りました」と。その最後に、僕らは「テーマがいい」と言
ったりする。『RWBY』であれば、「未熟な友情の物語なんだ」と、僕は説明したりする。けれど、それは、僕の思い込みなの。
「未熟な友情」なんて言葉が、口をついて出てしまうのは、僕が人間関係を気にしているからだろうな。作品は、その人が何者であるかを明らかにしてしまう。作品を見て、語る言葉をもてないとしたら、その人の中身が空虚なのかも知れないな。
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「常々、映画のあらすじや物語などを理解する事が映画の面白さである、という批評や評論に違和感を抱き続けてきた。
だったら照明なんて必要ないし、カメラはずっと固定カメラでよい。」
「この本はいかに人が画面を見ず、物語を読んでいるのかを突き付けてくる。」
「あと日本の映画批評家はこれぐらい語れよ、と思ってしまう。物語をペラペラ語るだけが仕事と思ってるやつがいかに多い事か。」
アマゾンのレビューを読んで、塩田明彦著の『映画術』を、図書館に予約した。上記は、そのレビューから抜粋(■)
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