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小学校以来の友人と二人で、『スター・ウォーズ フォースの覚醒』を鑑賞。鑑賞後、過去6作のよかった点を思い出しながら、ふたりで酒を飲んだのが楽しかった。一度、『スター・ウォーズ』熱をリセットする程度の意味はあった。そもそも、映画を好きになる、熱中するって、どんな体験だっけかなあ……と、考え直してしまった。
実は、1978年の『スター・ウォーズ』は、「まさか」と思うほど、つまらなかった。だけど、グッズを集めたり、友だちを誘って何度も見にいく行為が楽しかった。ようするに、映画自体は燃料でしかなくて、自分の生活が、にぎやかになることに主軸があったんだ。交響楽に詳しい友人が『スター・ウォーズ』のサントラのどこがいいのか、どう演奏がいいのか聞かせてくれるのも、楽しかった。
一作目は、ゲリー・ジェンキンズの「ルーカス帝国の興亡―『スター・ウォーズ』知られざる真実」を読んでから、とたんに中身がギュッと詰まって見えた。ほとんど理解者のいない中、孤独な戦いを挑んだジョージ・ルーカスに、強い思い入れができた。彼に映画監督としての才能があるとかないとか、そんなくだらない話ではない。彼が何に苦しみ、何を得て、何を失ったのか、その冷徹な事実の列挙に、魂を揺さぶられた。
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「映画に魅せられる」という体験は、テレビで見た『ダウンタウン物語』がキッカケで、『スター・ウォーズ』よりも強烈だった。生まれて初めて、自分のおこづかいで、映画のサントラ盤を買った。そのころはまだ、あちこちの名画座で、古い映画を普通に上映していたので、『ダウンタウン物語』を何度か見に行った。ところが、意外につまらない。
テレビで、家の応接間でかぶりつくように見た体験には、かなわない。あちこちカットされていようが、日本語吹き替えされていようが、あの生き生きとした最初の体験だけは、決して曇らないのだ。
映画を見ている二時間が、ちょっとだけ自分の生活を変える。つまり、映画を見てない、記憶にとどめたり、期待している時間こそが大切なんだろう。
映画に価値を与えるのは、個人の体験だけだと思う。自分の体験のそとに、評価軸など存在しない。そして、ジェンキンズの「ルーカス帝国の興亡」を読んで、自分が「つまらない」と感じた映画にも、ちゃんと存在理由や、存在価値があると教えられた。
だから、『フォースの覚醒』にも、ちゃんと存在価値はあるんだと思う。J.J.エイブラムスが、本当はどうしたかったのか、彼の仕事には興味がある。今後、映画の裏側を探っていくのは、面白い体験かも知れない。何年かしたら、映画自体も、楽しく見られるときが来るのかも知れない。
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今日、録画してあった『ターミネーター2』を、まどろみながら見た。ジェームズ・キャメロンは、この映画の脚本を、たった3日で書いたという。
それにしても、この30年ほどの間に、映画の見方は激変した。『スター・ウォーズ』公開当時、家で本編を見ようと思ったら、短時間に編集された8ミリ・フィルムを買うしかなかった。高校二年のころ、『ジェダイの復讐』のビデオを買った、家で何度も見た、とクラスメイトに聞いた。それから何年かすると、レンタル・ビデオ屋が日本中にできた。世界の裏側の、聞いたことのない映画さえ、いつでも好きなときに見ることができるようになった。
高校のころまでは、ロードショーの終わった映画を見るためには、「ぴあ」で名画座のプログラムを調べるしかなかった。その当時とは、「映画館で見る」イベント性も、変化した。
僕らの映画に対する感覚、生理も、確実に変わってきたはず。歳をとればとるほど、若いころに見た映画に、別の価値・意味を発見できるようになる。自分のかたくなな思い込みにも、気づかされるチャンスも増える。
それにしても、「ぴあ」の映画紹介の一言コメントは、どれも面白かった。ほめるでもけなすでもなく、サラリと映画への興味を喚起したり、監督の個性を皮肉ったり、本当に豊かだった。
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