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レンタルで、『ル・アーヴルの靴みがき』。アキ・カウリスマキ監督作は、『マッチ工場の少女』をミニシアターで見て以来だから、なんと25年ぶり。この映画はフィンランド語をフランス語に直訳し、そのまま俳優にしゃべらせている。すると、「そなた、どうなされたのですか?」といった、格式ばった言い回しになってしまうのだという。だが、カウリスマキ監督は、あえてそのまま映画を撮った。
なので(フランス語が分からずとも)、今日的なヨーロッパ移民問題を扱っていながら、どこか大昔の映画のようにも感じるし、舞台劇のようにも見える。
ストーリーだけ取り出すと、移民の黒人少年を貧しい大人たちが助けるヒューマンな物語なのだが、語り口が異質すぎて、別のことを言いたがっているように感じる。その齟齬感、距離感は『マッチ工場の少女』のそっけなさより、強くなっている。
だが、この異様な雰囲気の中でしか伝わらない切実さが、確かに感じとれる。
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高校生が痴漢の犯人を断定し画像を拡散 ネットで問題視される(■)
日本の人権意識の低さを、象徴する事件だと思う。日本には、盗撮を禁ずる法律はない。法律がなくとも、「撮られたくない写真を撮ったり、それをネットを使って広めたら、撮られた人に申し訳ない」と感ずる心がない。そうした思いやりを育てる教育が、日本では行われてこなかった。「犯人を探せ」「告げ口しろ」、僕らは、教師たちにそう教わってきた。
僕は痴漢をなくす方法をアンケートで募り、その結果を署名活動にしたり、街頭に立って訴えたりもした。だけど、二度とやらない。それは「痴漢に人権なし」の風潮を感じたから。
僕だって、示談で痴漢事件をうやむやする警官などには、はらわたが煮えくり返る。だけど、彼らにも人権があると認めなければ、被害女性の人権も、また認められないはず。その公平さの中で、正々堂々と勝たねばならないのに、痴漢を根絶したい人たちの中は、「加害者に人権なし」の態度をつらぬく人が多かった。それでは、僕らの社会は、何も変わらない。何も進歩しない。
実在児童の性暴力写真に関する請願(■)はプリントして、馳浩議員(文部科学大臣)と、福島みずほ議員にお送りした。どちらからも、返事はない。無視されている。
児童ポルノ法もまた、「児童の人権擁護」という立法趣旨が忘れ去られているので、仕方がないと思う。(この件に関する勘違い発言は、いやというほど聞いてきた。)
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ツイッターで、なかなか良い発言にめぐりあえた。
以下、必要箇所のみ引用し、リンクは貼りません(発言者に食ってかかる人が出そうなので)。
“なぜオタクがかった人は、わざわざ乱暴な物言いを選ぶんでしょうか?校正紙なら「文字が小さくて読めない」と書けばいいのに「ゴミのようだから修正」と表す意図が判らない。”
ベテランのアニメ監督さんに間違いを指摘されたとき、監督は「勘違いなさっています」と、丁寧な言い方をしてくださった。だけど、版権窓口の担当者は「そんな設定ありません」とか「はあ? 意味がわかりません」とか「ちゃんと調べました?」とか、トゲのある裏返しな言い方で赤を入れてくる。言葉づかいひとつで、人間の度量がありありと露呈してしまう。
アニメや萌え絵好きだから、責められているわけではないと思う。性格が悪い、態度が粗暴な者が目立つから、すぐさま「犯罪者予備軍」などと、槍玉にあげられるんではないだろうか?
萌え絵ポスターの味方に立ちたくても、すでにツイッターで口汚い罵りあいが始まっている。一言でいうと、社会性が欠如している。一方で、「オタクに人権なし」とばかりに、理不尽な攻撃を加える人たちもいる。こんな破滅的な状況に、誰が近づきたいと思うだろう? 相手を敬称で呼ぶ、最低限の敬意をはらうだけで、ずいぶん雰囲気は変わっていただろうに……。
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コメント
ここは「発言を取り上げて頂き、ありがとうございます」とだけお伝えしたく…
投稿: 某A | 2015年12月18日 (金) 09時52分
■某Aさま
コメント、ありがとうございます。
このような引用の仕方は、おそらく本位でらっしゃらないかも知れませんが……胸のつかえが、とれたような気持ちでした。
投稿: 廣田恵介 | 2015年12月18日 (金) 09時58分
廣田様
いえいえ、こちらこそ有難うございます。
日頃から感じていた気持を何気なく書いたものが、見知らぬ方の胸に届いたというのは、不思議に楽しい感覚です。
投稿: 某A | 2015年12月21日 (月) 00時24分
■某Aさま
誰もが、うすうす感じていながら、なかなか言葉にするのが難しい気持ちだと思います。
ですので、勇気を出して書いていただいて、とてもホッとさせられました。ありがとうございます。
投稿: 廣田恵介 | 2015年12月21日 (月) 00時38分