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2015年11月29日 (日)

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ホビー業界インサイド第5回:デジタル技術が揺るがすフィギュア造形の“常識” “ZBrush”原型師、深川克人インタビュー()
T640_693900前回は、一般人の中に熱狂的ファンがいて、スケールモデルやアニメ・フィギュアとは別方向に深くて濃い、「ぷちサンプル」を取材しました。今回は、連載開始時より狙っていた、デジタル造形に切り込んでみました。

次回で、この連載は6回目で、半年たちますから、もう一度、出発点というか原点に近いところへ戻ります。ゼンマイのネジを巻いて、弾みをつけるようなものです。興味のある会社や個人の方に、どんどん取材をお願いしています。


J.J.エイブラムスの手腕を確認するため、『M:i:III』をレンタルで。
324026view002こんなにアクションが上手くて、どんでん返しを三回ぐらい起こせる人に『スター・ウォーズ』を撮らせていいものかどうか、考えてしまう。ともかく、観客の心理の裏の裏まで手が届く、頭のいい人だ。
僕は、『スター・ウォーズ』は、映画としては孤高というか、無神経なフィルムであってほしいと願っている。第一作目(『新たなる希望』、このサブタイトルもダサい)は、ジョージ・ルーカスの前衛的なセンス、他人をかえりみない哲学が前面に出すぎて、娯楽性には乏しい。

『スター・ウォーズ』は、映画の出来が「いい」「悪い」は関係なくて、世界観を記述するツールとして、たまたま映画の形態を選択した芸術なのだと思う。だから、ルーカスがひとりよがりに暴走して、周囲が勝手に残念がる……という構造が、もっとも美しい。観客の顔色なんて、気にしてはいけないのだ。
(それでも、『ファントム・メナス』のメイキングを見ると、ルーカスは観客に理解できるかどうか、かなり気にしてはいる。だが、結果としては首をひねるような描写のオンパレードで、その勘違いっぷりが面白いわけだ。)

なので、エイブラムスという才人が、ルーカスの癖や『スター・ウォーズ』の約束事を噛んで含めて、何もかも計算づくで“それっぽい、いまどきの娯楽映画”を撮ってしまうことに、怖れを感じる。
世間や時代に対して、胸を開かないというか、常に閉じていることが『スター・ウォーズ』の条件。少なくとも、僕は「分かるヤツだけ、追っかけてきてくれ」という、ルーカスの引きこもり性に魅了されている。孤立していてほしい。荒野に、屹立していてほしい。「出来のいい映画」なんて概念、ゾッとする。


たぶん、その「孤高の存在でいてほしい」願望は、自分の育ち方に起因しているのだろう。僕は、いつでも「誰も分かってくれない」と嘆き、ひとりでトボトボ歩いて帰るのが、好きな子供だったから。

昨夜も、クラス会の席で、勝手に怒って帰ってきてしまった。「お前らだけで、勝手に盛り上がってればいいじゃん!」という態度をとったのが、まずかった。
しかし、社交性のない僕をからかうようなヤツが、偉そうに酒宴の真ん中に座っては、黙って席を立つより、しかたがなかった。

その夜は、中国へ団体旅行して、僕ひとりだけ空港にたどりつけない夢を見た。
北京の街で、スーツケースをなくして道に迷い、飛行機に乗れないのではないかと、一人あわてて走り回る、出口のない夢だった。

Paramount/Photofest/MediaVastJapan

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2015年11月26日 (木)

■1126■

月刊モデルグラフィックス 1月号 発売中
51pn0szakbl_sx349_bo1204203200_●組まず語り症候群 第37夜
この連載も、四年目に入りました。今回は、「ダメージを受けた戦闘機のキット」という、地味な題材を扱っています。

三年分のストックがあるので、新しい動きも出てきましたし、僕の仕事も、模型関連の取材が多くなってきました。
すべて順調に進めば、来年出る二冊の著書は、どちらも模型関連になります。


『勇者王ガオガイガー』Blu-ray BOX Division 1 発売中
865b0636gw1eonw6wdahqj20hs1wj0zn
●『GGG記録大全』上巻 取材協力
高橋良輔さん、山口宏さん、鈴木竜也さん、原田奈々さん、柳沢テツヤさん、岡田有章さんのインタビューを担当しました。

高橋良輔さんは、放送当時から「プロデューサーではあるけど、物語やネーミングにもアイデアを出しているのでは?」と気になっていただけに、中身の濃いお話を存分に聞けました。


朝から、健康診断の結果を聞きに医者へ行ったり、契約更新のためにauショップへ行ったり。受付が女性だったり年下だったりすると、いきなりタメ口をきく男性の多いこと。
コンビニなどで、決められた場所で待たずに、レジに直行するのも男性が多い。後ろから「オイ、なんで待ってるんだよ?」と急かすような人もいる。女性は、たいてい譲り合いながら並んで待っているのに、どうして……と、暗澹たる気持ちになる。

性暴力被害を描いた小澤雅人の監督最新作「月光」が完成、2016年夏公開へ(
News_xlarge_gekko僕自身、クラウドファンディングに出資し、監督にもニコニコ生放送に出ていただいた劇映画『月光』が、ついに完成したらしい。

『月光』を応援するポッドキャストに呼ばれたり、制作プロデューサーから、「公式ライターのような役割を務めてくれ」と依頼されたこともあった。公式ライターの件は、「僕よりふさわしい人、特に女性ライターが向いているでしょう」とお断りしたのだが、「さて、それはどうだろうか」と、最近では思う。
性虐待、性暴力には女性しか関心を持っていない、女性なら詳しいはず……これは、思い込みにすぎない。

僕の動きとしては、「実在児童への性暴力写真に関する請願」()を印刷し、何人かの議員に送ることにした。やはり、メールでは弱すぎる。
請願書で問題になっている性暴力写真を、実際に見たことのある女性に(何しろ、児童ポルノ法では取りしまれないので、公の場で見ることができてしまうのだ)、助言をいただいたりもしたが、彼女も、この活動からは離れてしまった。スタンドアローンで、最初から出発しなおす。
「一般男性が興奮するか否か」が基準となっているマッチョな法律に、よくも子供たちを我慢させているものだ……と、なかば呆れながら。

(c)2016『月光』制作委員会

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2015年11月23日 (月)

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レンタルで、『マン・オブ・スティール』。
「なにも、スーパーマンまでシリアスにしなくても……」と敬遠していたのだが、ザック・スナイダーが、来年の『バットマン vs スーパーマン ジャスティスの誕生』も監督すると聞いて、予習しておくことにした。何しろ、『バットマン vs スーパーマン ジャスティスの誕生』には、ガル・ガドット演じるワンダーウーマンが登場する。それで、がぜん、興味がわいた。

『マン・オブ・スティール』にも、ファオラ=ウルという女戦士が登場し、黒いスーツとするどい眼Mpc_filmreel_2014光、そして透明のヘルメットをまとって、期待を裏切らない(女性の着用するハイテク・バトルスーツは、目元というか視覚に関連するデザインが大事。透明パーツを入れると、潤いが出る)。

リブート作品としても、長尺すぎるのを別にすれば、上出来だった。現代のアメリカに、カル=エルやゾッド将軍があらわれれば、軍隊の介入は避けられないだろう。
映画は、『インデペンデンス・デイ』的な侵略パニックSFの要素もはらみつつ、『AKIRA』のように「飛行中の戦闘機に、素手で戦いをいどむ」「衛星軌道まで飛び、人工衛星を手で叩き落す」といった肉弾戦アクションが、効果的に描かれる。強さの対比物として実在のメカニックが登場するなら、CGも大歓迎だ。
(逆に、スーパーマンが異星の謎のメカと戦うシーンでは、どちらがどう強いのか尺度が判然としないため、まったく盛り上がらない。)

ともあれ、バトルスーツを着た美女が大暴れしてくれれば、満足しないはずがない。
ハリウッド映画は、面白さに対して、がめつい。深くも、浅くも楽しめる。「生真面目な人間は、自滅しがち」と、僕は思っているのだが、どこかでバカになれる領域を確保している、その余裕が頼もしい。


連休最終日の午後は、徒歩数分のところで開催されている「三鷹コミュニティシネマ映画祭」へ。
Dsc_2464(押井守監督の色紙があった。)
プログラムは、“三鷹フィルムコミッションコラボ企画「三鷹で撮る! 三鷹で観る!」 〈二本立て+座談会〉”。

自主映画二本については、さておく(強いて言うなら、僕より10歳も20歳も若い人たちが、「家族はすばらしい」といった、ずいぶんと老熟したテーマの映画を撮るものだ……と驚いた)。

設立三年目の三鷹フィルムコミッションは、アニメ作品(プールが出てくる……ということしか分からなかった)のロケハンにも使われ、一進一退といった感じだ。
それでも、「フィルムコミッションで、三鷹の街を盛り上げる」目標と、ジブリグッズを売ることのできない駅前商店街の閑散とした雰囲気とは、あまりもギャップが大きい。

三鷹の森ジブリ美術館の正式名称は、「三鷹市立アニメーション美術館」。ジブリ美術館は、ニックネームにすぎないのだ。
ところが、ジブリ美術館を訪れた世界各国の観客たちは、三鷹の街を素通りして、直帰してしまう。駅前にジブリ・グッズを置ければ、様相は一変していただろうに……。

TM &(c)2013 WARNER BROS. ENTERTAINMENT INC. ALL RIGHTS RESERVED. TM &(c)DC COMICS

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2015年11月21日 (土)

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アニメ業界ウォッチング第15回:異色のアニメ「RWBY」が、ベテラン声優たちの“実力”を引き出す! 「RWBY」日本語版演出・打越領一インタビュー!
T640_693583このインタビューは、試写を見終わってすぐ、思いつきました。会場出口で、試写に呼んでくださったワーナーの方に提案し、アキバ総研の担当者に許諾を得たのち、2週間の上映期間中に記事をアップロードするため、関係者の皆さまに、かなり迷惑をおかけしました。

ふだん、上映中のアニメを支援するような記事は、自分から提案することはないのですが、『RWBY』だけは違いました。この日本語版の完成度は、もっと多くの人に(たとえば洋画ファンや海外ドラマ好きにも)、知ってほしいと願ったのです。

どのインタビューでもそうですが、「知らないことを聞く」のが目的です。僕が『RWBY』を見て、いちばん知りたかったのが、「声優さんたちの演技力を、誰が、どうやってここまで引き出せたのか?」です。すると、日本語版の音響演出を、どなたが担当したのか? その方に、話を聞くことはできないか?……と、行動の指針が固まってきます。
27日の上映期間までに、なんとか記事をアップできましたので、よろしくお願いします。


「とにかくプルトニウムを使いたかった。敗戦国の日本が5大国と肩を並べてプルトニウムを使う。そんな夢を実現したかった」
――日本原子力研究開発機構の塚本裕一広報課長の言葉()。
日本人の敗戦コンプレックスが、露骨に感じられる、象徴的な発言。昨年の児童ポルノ規正法改正時、改正に熱心な人たちは、「先進国の中で日本だけが」「OECDの中で、日本だけが」と強調していた。「欧米人に対して、恥ずかしい思いをしたくない」コンプレックスと矜持が、彼らの中でもっとも重要だったのだろう。

もうひとつ、原発と放射性物質の危険性を訴えたいがため、「福島では多くの子どもたちが亡くなっている」「病気になっている」と、何の客観的データも示さずに訴える人たちがいる。
国連「子どもの売買、児童売春、児童ポルノ」特別報告者が、「(援助交際が)緊急に対応すべき事象である点を強調するために」根拠薄弱な数字を用いたことと、よく似ている。どちらも、子どもが受ける被害をダシに使って、主張に正当性を与えようとしている。

「子どもの見えるところに、エロ本を置くな」も、大人が、自分の不愉快さを裏づけるロジックに組み込まれることが、よくある。
子どもを守りたいはずの人たちが、しばしば「被害者としての子ども」を珍重する、被害を誇大に見せる……この心理作用に、なにか名前はないものだろうか。


僕は、いまだに原発には反対だし、食品汚染についても警戒している。

ただ最終的には、「許容数値をこえた食品を、市場に出してしまった」「給食に出してしまった」具体的なミス、大人社会の手落ちや手抜きシステムに激怒して、そこを追及してきたはず。何度か福島に行って、子どもにも会ったけれど、「まわりで、どんどん病気になっている」だの、ましてや「死んでいる」なんて話は、一度も聞かなかった。その代わり、放射性物質の検出値や食品の産地を、彼女の母親は、とても気にしていた。

たしかに、僕も感情的だった時期があるけれど、具体的に「マスクしなくていいのか」「外で遊んでも大丈夫か」と口にする親子を目の前にすると、スローガンとしての「反原発」は、どっかへ行ってしまう。
だけど、霞ヶ関の反原発デモや抗議活動で出会った人たちは、どこかで、「福島の子どもたち」を美化し、ややもすると、彼らの死を願ってさえ見えた。

うまく言えないが、「児童への性犯罪」も、被害者の存在をありがたがる、被害が出てくれないと正当性を主張できない構造へねじくれていないか、気になる。
そうした、ねじれた心理に陥ったときほど、事実にもとづかない誇大な発言をしたがるものだ。「調べる癖」を、みんなが持っていてくれれば、世の中はもっと公正明大になるのに。

「嘘をついてた人間が急に嘘を認めた時には、その嘘以上に発覚したら困る隠し事があると考えて間違いない。」(

(C)Rooster Teeth Productions, LLC

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2015年11月17日 (火)

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【懐かしアニメ回顧録第12回】手描きによるメカ作画の威力! 88年版「ドミニオン」の戦車描写に胸を熱くしろ!
アキバ総研さんに書いたコラムです。今回も、かなり真面目に、セル画時代のメカ作画・演出について突っ込んでみました。
もはや、「テクニックが面白さを支えている」と訴える記事は、望まれてないのかも知れません。だけど、連載のつづくかぎり、このスタンスは崩さずに行こうと思います。


レンタルで、『アイ・アム・ニューマン 新しい人生の見つけ方』と、もう一本。
Arthurnewmanwhysoblu1_2『アイ・アム・ニューマン』は、過去に「私はプロゴルファーで、アーサー・ニューマンという名前です」とウソをついた男が、そのウソを信じてくれた大富豪の経営する、ゴルフクラブを目指す。
都会から隔絶された田舎町で、ニセモノのプロゴルファーとして、新しい人生をはじめようというわけだ。その旅に、やはり他人になりすましながら放浪している女性が、合流する。

もう一本の映画は、タイトルを確認しないまま、返却してしまった。(僕は、まったく知らない映画を、パッケージの解説だけ読んで借りることがあるので、たまにタイトルを忘れてしまう。)
こちらの映画は、若い音楽プロデューサーが主人公。彼は、父親がガンであることを知り、自分の生まれ育った町へと帰郷する。そこで、かつての友人たちと再会し……というヒューマンな映画なのだが、『アイ・アム・ニューマン』同様、閑散としたアメリカの田舎町の風情がよかった。

ゲオで借りると、DVDが一枚86円。たった86円で、行ったことのない外国の風景を見られる。もしかすると、86円で、人生を根本から変えるような作品に出会えるかも知れない。
だから、ゲオに寄って、まったく知らないDVDをレンタルしてくると、それだけで一週間が豊かになる。二時間で完結するコンテンツを借りてくるのではなく、人生の岐路を手に入れるわけだから。


フリーランスの僕の人生は、わりとそんな感じだ。毎日が空白で、起きる時間も寝る時間も自由で、そこに食事や出かける予定を割り振って、仕事の時間を配置していく。最低、一週間に一本、DVDを見られる時間も確保しておく。
「仕事に追いまくられて、DVDなんて見てられない」……少なくとも、そういう人生にはなっていない。

手元には、つねに何本かの映画の試写状が届いている。日比谷や銀座のきれいなビルで、誰かが僕を待っている。これは、かなり幸福な状態ではないだろうか。

(c) 2012 Vertebra Newman Film Company, LLC All Rights Reserved.

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2015年11月14日 (土)

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EX大衆 12月号 明日発売
61fdkjez2bl_sx386_bo1204203200_●赤い彗星の原点 あの安彦良和総監督が解説
『機動戦士ガンダム THE ORIGIN Ⅱ 哀しみのアルテイシア』について、安彦良和さんにインタビューしました。ほぼ、見開き分の量が載っているので、読み応えはあると思います。

他誌で『クラッシャージョウ』について書く予定なので、ついつい、安彦先生に『ジョウ』の話題をふってしまいました。が、インタビュー原稿には反映させていません。


【実在児童への性暴力写真に関する請願書】について()、馳浩・文部科学大臣に、メールで請願の内容をお伝えしました。
お忙しい方ではありますが、女性の権利保護プロジェクトチームの座長として、児童への性虐待の公訴時効見直しについても、議論された方です。(はせ議員のFacebookより。

やはり、「一般男性が性的に興奮するか否か、興奮しなければ無罪」などという、「成人男性の性的興奮」を基準とした現行の児童ポルノ法は、間違っていると考えます。
たとえば、下校時や公園で遊んでいるとき、いきなり撮られた児童の写真は、取りしまらなくてもいいのでしょうか? そのような事案は、「東京安全安心まっぷ」()が、毎日のように報告しています……秋葉原ではなく、普通の路上で起きています。
僕は、いきなり路上で写真を撮る行為は、人権侵害だと考えます。「性的に興奮しない写真ならセーフ」「裸の写真でないなら無罪」という考えのほうが、よほど乱暴ではないでしょうか。

少し前に、実際に観察した女子学生の制服姿をイラストにしている人が問題視されました。あれは「イラストがエッチだったから」問題になったのでしょうか? そんな幼稚な話だったのでしょうか?
女子学生たちの通う学校が特定できるまで仔細に描きこむと、生徒に何らかの危害がおよぶのではないか……。そのような「児童の保護」「被害者を出さない」観点からの批判ならば、よく分かる話です。


ちゃんと児童ポルノ法の条文を読んでほしいのですが、「性欲を興奮させ又は刺激するもの」という一文が、いつも邪魔をするんです。「エッチなものは良くない」と受けとれてしまうので、いまだに、漫画を取りしまる法律だと勘違いしている人がいます。
(最近は、炎上を狙って、わざと「エッチな漫画=児童ポルノ」と曲解して記事を書く、破滅志向の人もいるようです。)

たとえば、寺町東子弁護士が児童への性虐待の時効見直しを訴えた()のは、「性虐待がエッチだから」「性的に興奮するから」ではありません。性虐待の与える精神的ダメージが、生涯にわたるからです。
性虐待によるダメージは思い込みではなく、「PTSD訴訟」として、札幌高裁で争われた事実です。この程度のことは専門知識ではなく、ネットのニュースのみで得られる情報です。事実にもとづいて判断していかないと、やがては「心」を罰するディストピアの到来を招きかねない……と、懸念します。

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2015年11月10日 (火)

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児童売買,児童買春及び児童ポルノ国連特別報告者に対する申し入れ
外務省が、先月来日したマオド・ド・ブーア・ブキッキオ国連特別報告者に、抗議をした。山田太郎議員のツイートで知ったが、おおいに驚いた。
「緊急に対応すべき問題であることを強調するために根拠に乏しい数字を引用しても良いとの考えや,情報源も明らかにできないような信頼するに足りない情報を,記者会見や報告書で引用することは,到底受け容れられるものではない」
日本政府が海外からの横槍にたいして、ここまで強硬な姿勢をとることは、異例なのでは……。
被害実態を軽視してはいけないが、ここまでして被害を甚大に見せたい心理には、疑問をいたがざるを得ない。国内の問題を国内で解決しようとせず、いきなり海外向けにアピールする姿勢には、敗戦コンプレックスを感じてしまう。
「欧米では」「諸外国では」「先進国では」……と、すべて欧米人基準にあわせる盲目的態度には、敗戦直後、GHQにコビを売った政治家たちと同じ卑屈さを感じる。
性犯罪は、もっともっと、身近なところで起きている。海外(というより欧米人)にアピールしたところで、何の解決にもならない。印象操作すれば、今回のように説得力を減じ、信頼をそこね、ひいては問題解決から遠ざかってしまう。
(なぜ、児童が売春してしまうのか、考えたことはあるだろうか。何冊か、地道に取材したルポルタージュが出ている。読んだことはあるだろうか。)
もっとも、ここ最近の僕は、秋葉原を児童買春の温床にしたがる人たちに対して、攻撃的になりすぎていたと、反省もしている。
ただ、それにはきっかけがある――。二ヶ月ほど前、ある媒体から、性犯罪についてインタビューしたいとメールがきた。女性の立場から痴漢被害などを記事にしている媒体だったので、なにかの役に立てれば……と思い、先方のオフィスへ出向いて、インタビューをうけた。

だが、記事はいつまでも出来てこず、どうなっているのか問い合わせたところ、いささかショックな返答をもらった。
僕の提出した【実在児童への性暴力写真に関する請願書】()をメインに記事を構成しようとしたが、僕の紹介した弁護士に問い合わせると、「児童ポルノ法が改正されたので、今後は、こうした写真も罪に問われるだろう」との返事をもらって、躊躇してしまったらしい。
かわりに、「マンガは児童ポルノには含まれない」という僕の発言を記事にしたいと言うのだが、そんな程度のことをメインに話したおぼえはない。
むしろ、【実在児童への性暴力写真に関する請願書】を信用できない(よって記事にする価値がない)と言われたようで、とても不愉快だった。くやしかった。
僕は判決文も読んだし、この問題を以前から知っている人の意見を聞いたし、手を尽くして請願書を書いたのに。
その媒体だけではないが、痴漢被害については饒舌なのに、密室での性虐待については口を閉ざしてしまう人は、珍しくない。こうして、社会が「沈黙の連鎖」をつくり、「顔に精液をかけられた児童の写真が、罪に問われない」l理不尽な事実を隠蔽してしまう……。
痴漢被害や性表現に厳しい方でも、聞くのもつらいような陰気な性虐待についてはスルーする。その記者の方は「児童ポルノ法に関しては、不勉強でした」と謝ってらっしゃるので、かなり良心的なほうだ。請願書作成に協力していただいた園田寿さんに連絡をとるよう伝えたが、どうなっただろうか。今からでも、ぜひ記事にしてほしい。

とはいえ、インタビューを収録した音声データは、取材した側がもっている。写真も撮られた。何の契約書も誓約書もない。どこでどう使われるのか、分からない。

あわてて、その媒体の個人情報保護方針のページを開いた。
僕は本名で仕事しているし、イベントなどで顔も出しているけれど、信頼関係にない相手が、一方的に写真を持っているというのは不安だ。「記事にしないなら、音声と画像を消去してほしい」と言いたいが……いい気になってペラペラ話して、二ヶ月もほっておかれた自分を、ふがいないとも感じる。

こういうことがあると、ぐわっと活力を持っていかれる。

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2015年11月 8日 (日)

■1108■

このブログの古い読者である映像作家のかたが、新作アニメをつくった。
『美祢暮らしのスケッチ ~豊かな自然とあたたかい時間』、山口県美弥市の紹介アニメ。
この、見晴らしのよさ。こんな形で、少人数で、のびのびとアニメをつくっている人もいる。うらやましいと感じる。
『人はなぜ被害者を責めるのか? 公正世界仮説がもたらすもの』
心理学ミュージアム(日本心理学会)の記事……というか、スライドを見ていく形式のものなので、とても分かりやすい。
「信号無視の車に歩行者が巻き込まれました」というニュースで、被害者が「普通の一般市民」か「違法薬物の売人」かによって、人間の態度は変わる。何の罪もない一般市民が、無意味に殺されたとしたら、その理不尽に耐えきれず、「被害者に、なにか落ち度があったのではないか?」と、非難の矛先を変えてしまうことがある。
つまり、論点をずらすことで、心の安定をはかろうとする。
いろいろと、思いあたるところがある。
たとえば、児童への性犯罪を糾弾するために、「秋葉原」という、手っとり早いエサに飛びつく人々。性犯罪は、あんな繁華街でばかり起きているわけではない。
東京安全安心まっぷ (@TokyoSafety)というアカウントを、見てほしい。児童が男につきまとわれたり、写真を撮られたり、体を触られたり……といった事案なら、福生市でも調布市でも、白昼堂々、路上でおきている。そうした日常的な性犯罪の深刻さに向き合えず、「オタクたちの集まる街」という特殊性、「児童ポルノ」「児童買春」という言葉のショックバリューに頼ろうとする。地元の警察に通報することなく、いきなり海外に向けて記者会見を開く。
そうした活動家の方たちは、オタクではない「普通の大人」たちが、売春もしてない、ビデオにも出ていない「普通の子どもたち」に加害している事態の深刻さに耐えきれず、心が不安定になるのだと思う。
東小雪さんの『なかったことにしくたない』を読むだけで分かるように、我が子に性虐待をおこなう父親は、別に社会のはぐれ者ではない。地元の有力者で、大人社会では信頼のあつい人だったりする。池谷孝司さんの『スクールセクハラ』を読めば分かるように、生徒の親たちから愛される名物教師が、教え子を脱がせたり、肉体関係を迫ったりする。
森田ゆりさんの『沈黙をやぶって』には、先祖代々、父親が娘を妊娠させる家系の話まで出てくる。それらは、性犯罪ではないのだろうか。それらは、深刻ではないのだろうか。
いつもいつも、社会の暗部は、議論のテーブルにのぼらない。「秋葉原で売っている児童ポルノ(写真集やDVD)」といった、特殊で目にとまりやすいケースばかり、槍玉にあげられる。見た目のわいせつさ、一般人の「性的興奮」だけが問題にされる。
「児童ポルノ」を「児童性虐待記録物」と言い換えてしまうと、「普通の大人」が「普通の子ども」に行なう、奇怪で理不尽な被害実態に、目を向けざるを得ない。その日常に巣くう暗闇を見たくない人たちは「ポルノ」という言葉を堅持して、秋葉原だのオタクだの、「特殊なカルチャー」へと、論点をズラしつづける。自らの心の安定のために。

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2015年11月 5日 (木)

■1105■

昨日は、米アニメ『RWBY』の日本語吹き替え版、マスコミ試写。
Rwby7たしかウェブ上で話題になりはじめたころに知って、「アメリカのスタジオなのに、こんな日本アニメ風なんだ?」と、すこし興味はもった。だが、実際に動画を見てみると、ローポリのモデリングに、手描きの顔をペタッと貼っただけに見えて、ガッカリしてしまった。

ところが、今回はどうだろう。2時間の上映時間が終わりにむかうにつれ、「まだ終わるな!」と、祈るような気持ちになった。完全に、魂をうばわれた。

その理由の多くは、主人公たちの可愛らしさ。あいかわらずモデリングは荒くて、ゴツゴツしている。食べ物をたべるカットでは、食べ物が口元でパッと消えてしまったりする。「腕組みをする」ポーズなんて、腕が体にめりこんでしまうから、ちゃんと決まらない。
その硬いモデリングに対して、貼りこまれたテクスチャは、必死に日本のキャラクター絵に似せようと頑張っている。正直、デジタル特有の筆あとが残ってしまい、イマイチなところもある(具体的には、ワイスの鎖骨あたり)。だけど、その必死さが愛情につながったのだろう。彼女たちは、たまにドキリとするような表情を見せる。それも、昨今の深夜アニメでは見かけないぐらい、微細な表情をうかべる。
見ているのがつらい、せつないぐらいに愛らしい。

そこに、深夜アニメではおなじみの声優たちが、声をアテる。絶妙にうまい。つまり、脚本の問題なのだ……と思えてくる。


もうひとつ。「巨大な武器や派手な魔法で戦う、さまざまなタイプの美少女たち」を主人公とRwby10 しながら、芝居はアメリカっぽい。仲の悪いキャラクター同士が、たまに意気投合すると、無言で手のひらをパン!と合わせたりする。――つまり、日本人のDNAではない。生理感は、アメリカ人のままなのだ。そのギャップが、カッコいい。

さっきも少し書いたように、脚本が深い。軽妙洒脱なギャグで笑わせたかと思うと、キャラクターそれぞれの内面へ、しっかりと踏みこんでいく。微妙な距離感、信頼の度合い、興味の薄さ……などの対人関係を、遠慮会釈なく描く。この複雑さ、鋭さと柔らかさの共存する脚本は、北米ドラマの真骨頂だ。

つまり、そこまで踏み込んだドラマを、ローポリの、かなりフェティッシュな美少女キャラたちに演じさせている、そのギャップが、他にないスタイルを作り上げている。……そこまでは、誰でもが認めてくれるのではないだろうか。


ただ、僕が少しくやしいのは、一昨年ぐらいに話題になったとき、この作品を過小評価してしまったこと。
英語版を翻訳しながら、必死に作品を追いかけていた人たちは、僕には分からない何かを探り当てていたのだ。

今回は、いろんなことに気づかされた。まだこなれていないトゥーンシェーディングの、線の硬さ。その硬ささえ魅力に変えてしまう、やわらかなテクスチャー。頬の赤みや光沢の描き方。そのパターン化されたルックを、パターンのままにとどめておかない芝居とドラマ。
おそらく、『ギャラクティカ』にはまったこと、海外旅行したことが、少しずつ僕の価値観の角度をかえていった。その角度のまま、『RWBY』によって、ピタッ、ピタッとパズルのピースがはまっていった……そんな感覚。そんな充実感があったから、僕は人の少ない地下鉄への道を選び、泣きながら帰った。

(C)Rooster Teeth Productions, LLC

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2015年11月 3日 (火)

■1103■

レンタルで、『ラブ・アクチュアリー』。2003年作品。
318646view005クリスマスまで5週間のロンドンを中心に、九つの物語を平行して描く。その多くが軽妙なラブ・ストーリーなので、恋愛映画が苦手な人には、きついかも知れない。
だが、どんな不幸があっても、どんなに歳をとっても、恋愛さえしていれば救われるのだ……という、無責任なほどに弾力性のある世界観には、救われる想いがする。リアリティを無視して、絵空事の理想だけを描いているところが、かえって気持ちいい。

リーアム・ニーソンが、妻を失ったばかりの中年男の役で出てくる。彼のもとには、妻の連れ子が遺されている。リーアムは、母を亡くした義理の息子の恋愛を実らせようと、奔走する。
僕は、『スター・ウォーズ エピソード1/ファントム・メナス』で、幼いアナキン少年を奴隷の身分から解放した、クワイ=ガン・ジンを思い出してしまった。


『スター・ウォーズ』新三部作は、何千万、何百億という人々が銀河に暮らす、にぎやかで柔らかな世界だった。旧三部作のような、殺伐としたサバイバビリティは、求められない。
どこまでも華やかで、それだけに軽薄で、優しい世界だった。――もっとも、それが甘ったるくてイヤだという人が多いから、年末公開の『フォースの覚醒』は、シリアスさを全面に出しているのだろう。

『ラブ・アクチュアリー』が公開された2003年、リーアム・ニーソンは、すでに『スター・ウォーズ』の世界には、いなかった(『ファントム・メナス』で、命を落とすため)。
僕には、リーアムが『ファントム・メナス』から『ラブ・アクチュアリー』の世界へ、渡り歩いてきたように見える。もちろん、無数の星がまたたく夜、失意の少年を救うため。


日本の女子学生の30%が援助交際している、いや13%だ……と一部で騒がれた、マオド・ド・ブーアブキッキオ国連特別報告者の一件。その13%という数字の出どころについて、もう一悶着あったようですね。こういう問題で発言すれば、どの道、批判はうけます。
僕が不思議なのは、自ら発言しておいて、いざ批判されたり罵倒されたりすると、とたんに「ひどい侮辱をうけている」と、被害者に徹してしまう人権活動家の多いこと。誹謗中傷される覚悟ぐらい完了させてから、発言しているものだと思ってました。

僕のように短期間、小規模な活動しかしなかった者ですら、異性から「アイツこそが性犯罪者」など、あることないこと、いろいろ言われましたから。
だけど、彼女たちは過去に性虐待や性暴力をうけているそうなので、僕からは反論できない。(事実無根な発言は、今からでも撤回してほしいけど、僕を罵倒することで、一時的にでも気がすむなら、それはそれで我慢する価値はあると思う。)


児童ポルノ法に関連して、ひとつ、ガッカリしたことがあります。
僕の提出した、【実在児童の性暴力写真についての請願書 】()。これについて、「法改正されたので、今後、同じような例は出てこないだろう」と、指摘があったそうです。高松高裁で「児童ポルノではない」とされた「顔面に精液をかけられた女子児童の写真」、問題視してくださる方が、とても少ない。山田太郎議員と、刑法学者の園田寿教授の二人ぐらいではないでしょうか。

被害児童は、いま11歳ぐらいです。犯人は刑期をおえて、社会に戻っているはずです。つい先月も、2日続けて小学生児童を公衆トイレに監禁して、強制わいせつする事件がありました()。
僕は、「顔面に精液をかけられた女児の写真」を「一般人が性的に興奮しないから」合法……とした社会と、「誰も性的に興奮しないが、児童に性暴力をふるった証拠物だから」違法とする社会とは、別世界だと考えています。
残念ながら、僕たちは、前者の世界に生きているのです。
子どもたちに「あなたが顔に精液をかけられて写真を撮られたとしても、その写真は取り締まらないよ」と、言ってしまっているわけですよ。この問題を無視する、忘れるとは、そのような人権蹂躙を受け入れることに他なりません。

「秋葉原は児童ポルノ、児童買春の温床」と言えば、問題に注視していると錯覚している活動家の皆さんも、「顔面に精液をかけられた児童の写真」は、合法と認めているわけですよ。そんな人たちが、いったい何を取り締まれって? 海外ウケしそうな、簡単なところにばかり、口ばし突っ込んでるんじゃないよ、みっともない。性犯罪中に撮られた、児童の顔が映ってしまった酷い写真を見すごしている、愚鈍な大人の分際で。

ちょっと熱くなってしまったけど、だって、セクハラや性犯罪に目を光らせている人たちは、児童ポルノ関連になると、急に発言がズボラになるんだもの。
国連や欧米がどう言おうが言うまいが、被害児童の顔写真、しかも精液をかけられた写真を取り締まれないような法律と社会は、改善すべきです。子どもたちのためはもちろん、僕たち大人の倫理のためにも。

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2015年11月 1日 (日)

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ホビー業界インサイド第4回:「ぷちサンプルシリーズ」の“地味な濃さ”にホビーの真髄を見る! リーメント・開発本部インタビュー! - アキバ総研
Csm3_awucaa0x5eスケールモデル的解釈ではない、一般ユーザーを対象とした「ゆるい模型」としての食玩、その企画と制作について、取材させていただきました。(記事には載っていませんが、数人の女性たちがスカルピーやモーターツールを使って仕事している原型室も、見せていただきました。)

ただ、「ゆるい」とは言っても、スケールモデルとは別の方角が「濃い」わけです。その方向の「濃さ」に接している人からすれば、むしろスケールモデルのほうが華奢に見えるのではないか、無駄が多いように見えるのではないか……そんなことを、考えました。
「自分の好きなジャンル」にだけ接していては、決して分からないことがあります。まず、他人の趣味・嗜好を知ることです。


ケーブルテレビで、『紙の月』。
Img20150520kaminotsuki31990年代なかば。宮沢りえ演じる主婦が、契約社員として銀行の営業職につく。彼女は、得意先の老人の孫と恋に落ち、彼が150万円も借金して大学の学費をはらっていることを知り、200万円を貸す。だが、その金は、彼の祖父が保険金として主人公に預けたはずのものだった。
主人公は、金に困っていない老人たちから、次々と現金をかすめとり、青年と高級ホテルに泊まって、贅沢のかぎりをつくす。まだ、バブル経済の余熱の残っていたろである……。にしても、高級ホテル、高級ワイン、高級腕時計といった消費観には、あきらかに独自性が欠落している。


彼女は、言い訳をするにしても、他人の言葉を転用する。「BMWは新しいのが出るたび、ボタンが増えて、困る」「ありがちなこと、誰でもやっている」「行くべきところに、行くだけ」。
やがて、彼女は青年に裏切られ、たったひとり、横領の罪から逃れるためだけに生きつづける。カメラは、彼女の家の荒れはてた応接間を映しだす。偽造証書をつくるためのプリントゴッコ、家庭用コピー機、洗っていない洗濯物……(このカットだけでも、見る価値がある)。

映画は、角田光代の原作小説をディテールまで作りこんであり、宮沢りえの犯罪を看破する同僚(小林聡美)は、オリジナルキャラクターとのこと。
小林聡美が言うんだよ、追いつめられた宮沢りえに。「あなた、私なんかが想像すらできないような贅沢したんでしょ?」って。いや、数千万円盗んでも、誰にでも想像つくことしか出来なかったのが、怖いところなんだ。何のオリジナリティもない人生に、底冷えするようなリアリティを感じる。

もうひとつ、主人公の理論武装は、「誰かが得するけど、誰も困らない」。そこまで言語化してはいないんだけど、老人たちの死蔵している金を、彼女は困窮した若者に開放した。彼女がキリスト教系の学校に通って募金していたころの回想シーンも出てくるけど、自分のためには、金を使っていない。清いほどに、空虚な人間なんだ。
この人の、ポッカリと穴のあいた向こう側に、どうしても自分の強欲な姿が、すけて見えてしまう。


ハロウィン翌日の渋谷で子どもたちがゴミ拾い 大人たちにモラルを問う声
だから、いつも言ってるでしょ。この国は「破滅的」だって。
政治家が庶民を破滅させるんじゃない、国民が、かってに堕落してるんですよ。渋谷でのゴミひろいは、一部でエンタメ化しているので、そこが救いかも知れない。

今日、マンションのエレベータ・ホールに、空き缶が捨ててあったので、部屋に持ち帰りました。明日出かけるとき、一階のごみ置き場に捨ててくればいい。マナー違反して捨てられたゴミを見すごす自分を、「汚い」と思ってしまうからです。

(C)2014紙の月製作委員会

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