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2015年11月 8日 (日)

■1108■

このブログの古い読者である映像作家のかたが、新作アニメをつくった。
『美祢暮らしのスケッチ ~豊かな自然とあたたかい時間』、山口県美弥市の紹介アニメ。
この、見晴らしのよさ。こんな形で、少人数で、のびのびとアニメをつくっている人もいる。うらやましいと感じる。
『人はなぜ被害者を責めるのか? 公正世界仮説がもたらすもの』
心理学ミュージアム(日本心理学会)の記事……というか、スライドを見ていく形式のものなので、とても分かりやすい。
「信号無視の車に歩行者が巻き込まれました」というニュースで、被害者が「普通の一般市民」か「違法薬物の売人」かによって、人間の態度は変わる。何の罪もない一般市民が、無意味に殺されたとしたら、その理不尽に耐えきれず、「被害者に、なにか落ち度があったのではないか?」と、非難の矛先を変えてしまうことがある。
つまり、論点をずらすことで、心の安定をはかろうとする。
いろいろと、思いあたるところがある。
たとえば、児童への性犯罪を糾弾するために、「秋葉原」という、手っとり早いエサに飛びつく人々。性犯罪は、あんな繁華街でばかり起きているわけではない。
東京安全安心まっぷ (@TokyoSafety)というアカウントを、見てほしい。児童が男につきまとわれたり、写真を撮られたり、体を触られたり……といった事案なら、福生市でも調布市でも、白昼堂々、路上でおきている。そうした日常的な性犯罪の深刻さに向き合えず、「オタクたちの集まる街」という特殊性、「児童ポルノ」「児童買春」という言葉のショックバリューに頼ろうとする。地元の警察に通報することなく、いきなり海外に向けて記者会見を開く。
そうした活動家の方たちは、オタクではない「普通の大人」たちが、売春もしてない、ビデオにも出ていない「普通の子どもたち」に加害している事態の深刻さに耐えきれず、心が不安定になるのだと思う。
東小雪さんの『なかったことにしくたない』を読むだけで分かるように、我が子に性虐待をおこなう父親は、別に社会のはぐれ者ではない。地元の有力者で、大人社会では信頼のあつい人だったりする。池谷孝司さんの『スクールセクハラ』を読めば分かるように、生徒の親たちから愛される名物教師が、教え子を脱がせたり、肉体関係を迫ったりする。
森田ゆりさんの『沈黙をやぶって』には、先祖代々、父親が娘を妊娠させる家系の話まで出てくる。それらは、性犯罪ではないのだろうか。それらは、深刻ではないのだろうか。
いつもいつも、社会の暗部は、議論のテーブルにのぼらない。「秋葉原で売っている児童ポルノ(写真集やDVD)」といった、特殊で目にとまりやすいケースばかり、槍玉にあげられる。見た目のわいせつさ、一般人の「性的興奮」だけが問題にされる。
「児童ポルノ」を「児童性虐待記録物」と言い換えてしまうと、「普通の大人」が「普通の子ども」に行なう、奇怪で理不尽な被害実態に、目を向けざるを得ない。その日常に巣くう暗闇を見たくない人たちは「ポルノ」という言葉を堅持して、秋葉原だのオタクだの、「特殊なカルチャー」へと、論点をズラしつづける。自らの心の安定のために。

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