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ホビー業界インサイド第4回:「ぷちサンプルシリーズ」の“地味な濃さ”にホビーの真髄を見る! リーメント・開発本部インタビュー! - アキバ総研(■)スケールモデル的解釈ではない、一般ユーザーを対象とした「ゆるい模型」としての食玩、その企画と制作について、取材させていただきました。(記事には載っていませんが、数人の女性たちがスカルピーやモーターツールを使って仕事している原型室も、見せていただきました。)
ただ、「ゆるい」とは言っても、スケールモデルとは別の方角が「濃い」わけです。その方向の「濃さ」に接している人からすれば、むしろスケールモデルのほうが華奢に見えるのではないか、無駄が多いように見えるのではないか……そんなことを、考えました。
「自分の好きなジャンル」にだけ接していては、決して分からないことがあります。まず、他人の趣味・嗜好を知ることです。
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ケーブルテレビで、『紙の月』。1990年代なかば。宮沢りえ演じる主婦が、契約社員として銀行の営業職につく。彼女は、得意先の老人の孫と恋に落ち、彼が150万円も借金して大学の学費をはらっていることを知り、200万円を貸す。だが、その金は、彼の祖父が保険金として主人公に預けたはずのものだった。
主人公は、金に困っていない老人たちから、次々と現金をかすめとり、青年と高級ホテルに泊まって、贅沢のかぎりをつくす。まだ、バブル経済の余熱の残っていたろである……。にしても、高級ホテル、高級ワイン、高級腕時計といった消費観には、あきらかに独自性が欠落している。
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彼女は、言い訳をするにしても、他人の言葉を転用する。「BMWは新しいのが出るたび、ボタンが増えて、困る」「ありがちなこと、誰でもやっている」「行くべきところに、行くだけ」。
やがて、彼女は青年に裏切られ、たったひとり、横領の罪から逃れるためだけに生きつづける。カメラは、彼女の家の荒れはてた応接間を映しだす。偽造証書をつくるためのプリントゴッコ、家庭用コピー機、洗っていない洗濯物……(このカットだけでも、見る価値がある)。
映画は、角田光代の原作小説をディテールまで作りこんであり、宮沢りえの犯罪を看破する同僚(小林聡美)は、オリジナルキャラクターとのこと。
小林聡美が言うんだよ、追いつめられた宮沢りえに。「あなた、私なんかが想像すらできないような贅沢したんでしょ?」って。いや、数千万円盗んでも、誰にでも想像つくことしか出来なかったのが、怖いところなんだ。何のオリジナリティもない人生に、底冷えするようなリアリティを感じる。
もうひとつ、主人公の理論武装は、「誰かが得するけど、誰も困らない」。そこまで言語化してはいないんだけど、老人たちの死蔵している金を、彼女は困窮した若者に開放した。彼女がキリスト教系の学校に通って募金していたころの回想シーンも出てくるけど、自分のためには、金を使っていない。清いほどに、空虚な人間なんだ。
この人の、ポッカリと穴のあいた向こう側に、どうしても自分の強欲な姿が、すけて見えてしまう。
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ハロウィン翌日の渋谷で子どもたちがゴミ拾い 大人たちにモラルを問う声(■)
だから、いつも言ってるでしょ。この国は「破滅的」だって。
政治家が庶民を破滅させるんじゃない、国民が、かってに堕落してるんですよ。渋谷でのゴミひろいは、一部でエンタメ化しているので、そこが救いかも知れない。
今日、マンションのエレベータ・ホールに、空き缶が捨ててあったので、部屋に持ち帰りました。明日出かけるとき、一階のごみ置き場に捨ててくればいい。マナー違反して捨てられたゴミを見すごす自分を、「汚い」と思ってしまうからです。
(C)2014紙の月製作委員会
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