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2015年9月16日 (水)

■0916■

六本木で、『ファンタスティック・フォー』のマスコミ試写。
Sub05_largeジェシカ・アルバの出演したバージョンは、もう10年前なのか。あれは、かなり能天気な映画だったような気がするが、今回は『クロニクル』のジョシュ・トランク監督が、脚本まで書いている。
まず『クロニクル』的な、愛憎の入り混じった若者たちの人間関係がベースにあり、そこに原作の要素を配置していったような映画。なので、ムードは『クロニクル』のように切実で陰鬱で、そこはかとない哀愁を残して終わる。

最近のマーベル・ヒーロー映画の華やかさにゲンナリしている人には、ぴったりの静かなトーンの映画。クライマックスでは主役4人が力をあわせて戦うが、かなりあっさりしている。そのあっさり加減が胃にもたれず、僕は好感をもった。

『クロニクル』同様、『AKIRA』オマージュの濃密なシーンもある。一時間40分という上映時間も程よい。10月9日公開。


ふと、思った。オタクって、今では「キモいヤツ」程度に使われているけれど、なぜキモいかというと、周囲との同質化に失敗したまま、歳をとってしまったからだろうね。

思春期、第二次性徴を迎えると、周囲と同質化しようと試みる。
それまでは、髪が伸びたら床屋にいけばいいし、服は親が買ってきてくれた。ところが、まわりの男子は異性の目を気にして、おしゃれを始める。みだしなみを整えはじめる。幼少期のままの感覚でいると、目に見えて浮いてしまう。

僕が10代のころはユニクロなんてなかったから、駅前の服屋で、いちばん安いダサい服を買うしかなかった(そういうのは、おしゃれな人からは一発でバレてしまう)。
ボサボサの髪も何とかしたいんだけど、ムースだとかを買ってきても、どう使えばいいのか分からない。
結果、何が何だか、得たいの知れない外見になってしまい、周囲のひそかな失笑を買う。

その思春期のコンプレックスを、中年になってまで引きずっているのが、オタクなんじゃないだろうか。僕なんて、50歳を前にして、いまだにもがいている。


周囲との同質化に失敗しつつ、自分の才能や個性を発見するのも、やはり思春期のころだと思う。「俺は、まわりのチャラチャラしたヤツとは違う」という(やや苦しまぎれな)プライドも、そのころに生まれる。

自分を好きになりたいんだよね。アニメやプラモデルだけじゃなくて、料理やアウトドアな趣味ももちたい。今さらながら、思春期の失敗を克服したい。向上心を失いたくない。
思春期は、都合よく去ってくれるものではなく、その場に固着して、自分の苗床になってしまう。その苗床に種をまいて手入れするのも、荒れるままに放っておくのも、今の自分次第なんだ。

(C)2015 MARVEL & Subs. (C)2015 Twentieth Century Fox

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